Novel / 記念日は二人で


 「……あの、ビュウさん」
 「どうした、変わろうか?」
 伺うような呼びかけ、当然のような返事。ある意味阿吽の呼吸ともいえるやりとりだったが、カウンター越しの二人の距離はそのまま心の距離でもあるようだ。
 溜息交じりの笑顔で答えて、フレデリカは小さく頭を振ったのだった。
 「少し、休憩しませんか?」

 聖国カーナ、その街角に小さな薬屋があった。
 店舗兼住宅の、二階建ての建物をフレデリカが買ったのは一年ほど前の話になる。
 大通りを一本逸れた、比較的人通りの多い場所に建っているにも関わらずスムーズに商売を始めることができたのは、彼女が救国の英雄であるオレルス救世軍の一員であった理由が大きい。立場を打ち明けた地主からは、それを使って商売すべきだとも言われたがフレデリカは自分の力で仕事をすることを選んだ。
 壁という壁に設置された棚。それを埋め尽くす薬瓶。天井からは乾燥させた薬草が束になってぶら下がっている。そんなせせこましい、だが客の要望には応えられそうな薬屋はそれなりに繁栄していた。
 そこまではまだ、「普通の」薬屋の姿だった。
 ――オレルスの見守り人が配達しに来る、という点を除いては。

 先に階段を上って片手でドアを開けると、もう片方の手でフレデリカはビュウを手招いた。カウンターの奥、人一人がやっと通れる狭い階段。明かりがないせいで、夜間はランプが必須だった。
 「気をつけてくださいね」
 「お邪魔するよ」
 一般的な家であれば、ここが玄関に当たるのだろうか。軽く会釈すると、ビュウは足元を気にかけることなく階段を上がってくる。これで五回目なのだから、そろそろ挨拶はいらないのに。そう口を動かしかけて、しかしフレデリカの口は笑みの形のまま表情に張り付いていたのだった。
 「何にします?」
 「いつもの……っていうのも変だよな。いいよ、手伝わせてくれ」
 「それじゃあ……」
 ビュウに要望を通そうとしても、結局は暖簾に腕押しだ。意見を貫けるゾラや愛嬌のあるディアナが今になって羨ましく思えた。変わらずの笑顔でフレデリカはキッチンへと足を運ぶ。後ろにつくもう一つの足音に突然振り向いて、満面の笑みと軽口で彼を驚かせてみたい思いに駆られる。そのための練習もしたことは、今のところ誰にも明かしたことはなかった。
 「どうした? やっぱり具合が……」
 「ひゃっ!」
 背後から両腕を優しく掴まれて、フレデリカの喉から掠れた声が出る。驚きのあまり後ろを振り向く余裕もない。ただ高鳴る胸をなんとか落ち着けようと、ごくりと唾を飲んだ。
 「いつも通りですよ。今日はカモミールティーにしましょう」
 「分かった。って言っても、俺ができるのは整理整頓くらいだけどな」
 「ありがとうございます。おかげでだいぶ片付いているんですよ?」
 離れていく手の温もりとともに、フレデリカは冷静さを取り戻していた。横をすれ違い自嘲気味に笑うビュウに向けて、彼女は用意していたおっておきの笑顔を向けたのだった。

 部屋は一人暮らしをするにはやっとという広さだった。ベッドは天井から吊り下げられた布に囲まれている。遮光の意味合いが強いのだろうが、その圧迫感が部屋をますます狭く見せている気がした。残りの空間はクローゼットと本棚、後あるのは書き物机くらいの飾り気のないフレデリカの部屋。ただ物が収まりきらないのか、食事をする場としては貧相なカウンターには本が乱雑に積まれている。その端に遠慮がちに置かれた空の白い皿とワイングラスが彼女の生活を物語っていた。
 「あっ……、これは私が」
 「ちゃんと食べてるのか? って俺が言えた義理じゃないな」
 手を伸ばされて、フレデリカはあっと声をあげてせかせかと食器を手に取った。はにかむ彼女を心配しつつ、ビュウもまた傷をかばうように苦笑した。
 「やっぱり。忙しいんですね」
 「立場が立場だからな。まあ、体の大きさのぶんしっかり食べてくれるから今のところどうにかなってるよ」
 「バハムートって、普段なにを食べてるんですか?」
 慣れた手つきで準備をしながら、フレデリカは脳裏に浮かんだ質問を口にする。瓶のふたを開けると同時に漂うカモミールの爽やかな香りは、先ほどまで焦っていた心をリセットしてくれるようだった。早くビュウにも楽しんでほしくて、彼女はティースプーンを手に取りつつ質問した。
 「ああ、ドラゴンたちと同じだよ。肉と野菜と、今は不要な武器防具なんかが主食さ。俺も初めは驚いたけど、今は安心して見ていられるよ」
 「もう、武器を持つ必要はないんですよね」
 さりげないビュウの言葉に、改めてフレデリカは世の平和を実感していた。かつて所持していた強力な魔力を帯びた杖も、多くの仲間がそうしたように不要なものとしてカーナに売却する形で手放してしまった。それらをどうするかまでは興味はなかったが、目の前の炉で赤々と燃える火のように、薪にしてしまった方が後腐れがなかったのではと今になって少し後悔していた。
 「……俺の目が見えるうちはな」
 「ビュウさん……」
 しんと静まりかえった部屋に、ことこととケトルが揺らぐ音だけが聞こえる。フレデリカの目はすがるようにビュウを見ていたが、彼の視線は窓の外に向いていた。
 平和の使者、力の平定者。守護者であるバハムートと一対の存在としてオレルスを飛び回るビュウは、とうに自分の手の届かない場所にいる。だがこうして荷物を届けてくれているこの時間だけは、自分の知っている彼でいてほしいと思っている。
 ――それがたとえ、同じように仲間の元に訪れていたとしても。
 ぴー!
 「ビュウさ……あっ!」
 ためらいがいに声をかけたその瞬間、フレデリカの声は沸騰したケトルの笛の音にかき消された。調子外れなその音に、さすがのビュウも物思いに耽るのを中断せざるを得なかったようだ。目を見開き小さく微笑むその姿に答えるように笑顔を返して、フレデリカは五徳からケトルを取り上げたのだった。

 「……ふう。やっぱり落ち着くな」
 「すみません、狭くて……」
 「はは、あの頃とそんなに変わらないさ。といっても慰めにならないな、ごめん」
 小さく頭を下げてビュウは笑った。そして再びカップに口をつける。かつてない距離の近さにその表情を半ばうっとりと見ていたフレデリカは、彼の姿格好にわずかな違和感を覚えた。
 「あれ……?」
 「ん、どうした?」
 「あっ、すみません、口に出てましたか? その、剣は下げてないんですね」
 「ああ、ずっとこんな感じだよ。案外気づかれないものなんだな」
 「そうだったんですね、ごめんなさい」
 何も謝らなくても、と自分でも思う。けれど気にかけている相手の象徴ともいえる双剣の不在を見落としていたことがとにかく恥ずかしい。たまらずさっと顔を赤らめたフレデリカは、それを見られまいと視線を落とした。
 「いや、構わないよ。相手の武装を気にするのは、もう街角のコソ泥くらいだからな」
 ははは、とビュウは一笑した。そして腰から下げた剣のホルダーに視線を下すと、懐かしむように撫でたのだった。
 「でもこれだけ? って思うだろ。俺もそう思って持ち歩いてはいるんだ。これをね」
 「……ナイフ?」
 「そう。って言っても結構大振りだよな」
 フレデリカの違和感はここにもあったのだろう。ビュウはホルダーから鞘を取り外すと、ごとんとカウンターの上に置いた。見慣れた彼の剣よりはずっと小さいが、刃だけでも前腕ほどの長さがある。
 「見た目だけ……ですよね?」
 「と思うだろ? 実は結構便利なんだよこれが」
 思わずえっ、とフレデリカの声が漏れる。ビュウは鞘を取り上げると、意味ありげに刃をちらりと見せホルダーに戻した。微笑みと相まって、彼の苦労を垣間見た気がした。
 「やっぱり争いごとの解消に……?」
 「いやいや、人前では使わないよ。 ……調理用なんだ、これ」
 またえっ、と声が漏れる。だがその表情は面白おかしかったに違いない。彼の口からもまた、ふふっと笑いがこぼれたのだった。
 「意外だったろ? 本当はサバイバル用なんだ」
 「サバイバル……?」
 おうむ返しに言葉を返した、フレデリカの頭の中にはたくさんのハテナが浮かんでいた。訓練もない、戦闘もない、ただでさえ食料に困っていなさそうな彼が敢えてかつての生活に戻る必要などあるのだろうか?
 「不思議だろ? バハムートがいるのに、って。こう見えても家に帰れないときがあるんだよ。そうなると大抵野宿になるけど、火を起こす枝を用意するのも簡単じゃないからさ」
 「それこそバハムートに…というのはさすがに頼めませんよね」
 伺うようにビュウに問う。関係は守護者として対等とはいえ、さすがに神に雑用を頼めはしないだろう。というよりも、その考えに対する後ろめたさが彼女の敬虔な心を痛めていた。
 「ん? いやいや、逆だよ。あいつは何かと手を出したがるけど、火は付けられても薪を割れはしないからね。木を一本へし折る方がずっと楽だろうさ」
 「あい、つ……?」
 「はは、まあそういう関係ってことさ。人の前じゃ気取ってるから、きっとその差に驚くと思うよ」
 「そう、ですか」
 「そんなこと言われても、興味なんてないよな。みんなそれぞれの暮らしに馴染んでるだろうし――……」
 戸惑うようなフレデリカの言葉を、ビュウはどうやら興味の有無として捉えたようだった。あるか、と聞かれれば答えはノーなのだが、やはり傍にいるだけ距離は近づくものらしい。それがたとえ神であっても、というのは彼女にとって想定外ではあったが。
 嫉妬していいものなのかどうかすら、心は答えを出してくれずにもやもやとしたわだかまりとなって溜まっていく。カップに注がれたハーブティーは、不機嫌ともとれそうな表情を鏡にして映していた。これではいけないと取っ手に指をかけたところで、ビュウはそうだと口にした。

 「お互い、こんな暮らしを初めてそろそろ一年経つだろ?」
 「えっ、覚えてくれているんですか……?」
 水面が波打つ。収まるのも確かめず、フレデリカは顔を上げた。
 ビュウが言うことは事実だった。実際、後二週間後に迫った開店一周年記念に備えて、フレデリカは記念品にとアロマハーブを用意していた。小さな店なりの売り上げと日頃の感謝にはこれがいいと思って、ハーブの選定から自分の目と手で作成をしている心の篭もった一品になる予定だ。
 二ヶ月ごとに荷物を運んでくれるビュウにももちろん渡すつもりだが、用意が今日までに間に合わなかった事には少しだけ申し訳なく思っていた。
 だからこそ、彼がそう言い出してくれたことが嬉しかったのだ。
 一方のビュウと言えば、恥ずかしそうに笑いながらぽりぽり頭を掻いてなどいる。実は何かあるのでは、などと期待がフレデリカの胸で芽吹いた。
 「実は」
 「……なんでしょう?」
 ここまで予想通りにいくものか、とフレデリカの心は踊った。一瞬息が詰まった理由をビュウに悟られていないかだけが気になって、妙に返事が固くなる。
 一方のビュウといえば変化に反応することもなく、唇の端に笑みを浮かべるとカップを手に取った。
 「バハムートのやつ、人間にやたら興味があってな。特に祝い事は感情が大きく動くから、何かあるなら教えろってうるさくて。それで教えたんだけど、よくそんなに覚えてられるよなーー……フレデリカ?」
 「え、ええ。すごいですね」
 「ごめん、ごめんって」
 「……感情がこもってませんよ」
 「はは、お互い様だな」
 溜息交じりの称賛に、ビュウは慌てて謝りに入る。だがそれもただのポーズだと互いにわかっているからこそ、彼は再び自嘲するように笑うと小さく頭を下げたのだった。
 「でも、どうせなら華やかに祝っていいと思うんだ。俺も手伝うからさ」
 「罪滅ぼしのつもりですか?」
 「いやいや、これは本心だって。それとも俺がいると迷惑か? 確かにできることは少ないけどな」
 「いえ、いてくれるだけで嬉しいです。でもこんな小さなお店ですし、開店祝いをどうするかはもう決めてるんです」
 意地悪な返事に対して降参とばかりに手をあげたビュウは、瞬時にできることを考えた。けれど結局バハムートが首を突っ込みたがるようでは、彼女の望むことはできそうにないようだ。助けを求めるように口に含んだハーブティの爽やかな花の香りが淀んだ思考をリセットし、彼なりの最善の答えが出たことをその表情は語っていた。

 「そうか、だったらサラマンダーで応援させてくれないか? それなら一日フレデリカを手伝えるし、普段とは違う買い出しにも対応できるよ。何なら往来で宣伝だって――」
 「あ、あの、サラマンダーってアルタイルに帰ったのではないんですか?」
 焦りが口を不思議と早く動かした。のめり込むように上半身を乗り出すその姿勢に、逆にビュウは目を丸くして少しの間息を忘れているようだった。
 「――ああ、そういえば仕事以外の話はほとんどしたことなかったよな」
 「そうですね。女の子たちとはたまに手紙のやりとりをしているので何となく分かってますけど……」
 「ゾラのつてか?」
 「はい。でもせっかくカーナにお店を持ったのに、カーナのみんなに会いに行ったことはないんですよ? ビュウさんなら直接会いに行けるから、それは羨ましいです」
 その言葉に嘘はない。カーナに来てから生活に追われていたフレデリカにとって非日常への誘いはあまりにも魅力的だった。ただドラゴンが好きだというビュウのその後に瞳が揺れる。それならまだバハムートがひと騒動起こしてくれたほうがマシだ、などと口にするためには懺悔室へ行かねばならないだろう。
 そんなことを彼女の機微を露とも知らず、ビュウはぱっと表情を明るくさせると一気にまくしたてた。
 「そうか、それならたまには懐かしい顔に会いにいくのもいいかもな。何よりサラも喜んでくれると思うんだ。あいつにとっても久々のことだし、人が喜んでる姿を見るのも好きなのはさすがドラゴンってところだよな。これもバハムートの受け売りっていうのがもどかしいけどな。そうそう、どうせならサラの話でもするか。俺がこの仕事を受けるときに――」
 これが同一人物だろうか、そう思えるくらいビュウは饒舌だった。
 とりあえず笑顔を作って話を一通り聞こうかとも思ったが、彼の話の中心がどうもサラマンダーからぶれそうにないことを理解した瞬間、その表情は困惑に変わった。
 「……フレデリカ?」
 「あっ、ええ、そうね。ビュウさんがいてくれるなら構いませんし、きっと楽しい記念日になると思うの。さ、予定を詰めましょう」
 「ああ、そうだな」
 気づけば、気遣うようなビュウの目がフレデリカを見つめていた。だがそれもきっと、かつてのように自分の話を聞くことをやめた彼女に対する困惑のように思えてならない。
 けれど今はお互い様ねと笑う余裕すらフレデリカにはなかった。有無を言わせぬ調子でそう言い切ると、すっかり冷めきったハーブティーを飲み切るべくガラスポットにまだ残っている中身をカップに注ぐとくっと煽る。

 気づけば茶葉の色が水に移りきっていた濃すぎるハーブティーは、しばらく忘れられなさそうな渋みを口に残したのだった。

記念日は二人で
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7月6日は記念日の日らしい。なので浮かんだビュウとフレデリカ……とサラマンダー。
ビュウフレ好きな人ごめんなさい。三角関係なんです。
仲間内であっても、たぶん一人と一匹のただならぬ関係には疑問を感じる人は多いと思うんですよね(口に出さないだけ優しい)。
20200721



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