Novel / 理由を探して


「アレ、どう思う?」
「アレ?」
 半ば呆れたようなルキアの口調に気を引かれたジャンヌは、おおよその予想をつけつつ彼女の指した方向へ顔を向けた。
 ひさしを出した露店の並ぶ、石畳の通り。グランベロスによるキャンベルの占領が終わり、マハールの人々はかつての暮らしを取り戻していた。
 なりを潜めていた商人たちの声が快活に響き、買い物に足を伸ばしていた女子たちの興味を引いている。
 そんな彼女たちの気を引きたい男が一人、若い二人連れに声を掛けていた。

 ――同じように話しかけて振られてから、まだ5分とも経っていないのに、だ。

「……いつも通りじゃないの」
「そうなの、かなあ」
 肘をつきながら答えたジャンヌに向かって、ルキアは苦笑を浮かべたのだった。そんな彼女の表情をちらりと伺うと、ジャンヌはふうと息を吐いて口を開く。
「言われみたら、久しぶりかもしれないけどね」
「女の子がいないと話にならないから、かあ」
「その分村の子にしわ寄せがいってたんだから、こっちからすれば嬉しい限りよね」
 ちらりと歯を見せてジャンヌは笑った。長いこと離れていた親友の自然な笑顔を、思い返すと今日になって初めて見たかもしれない。
「まさか、自己紹介を兼ねて艦内で声を掛け始めるなんて思ってなかったもの」
「ははっ、反乱軍の子たちはみんな可愛かったからね。そりゃドンファンも張り切るさ」
 久しく見ていなかった、ドンファンの軽い行動。そんな彼の変わらない行動を、きっぱりとした態度と言葉でかわしつつ傍で見てきたジャンヌ。

 うらやましい、と思ってしまった一瞬が、ルキアに後悔の念をもたらしたのは。

「……どうしたのー?」
「あ、ううん、別に」
「なんでもない、って顔じゃないね。やっぱり気にしてるんだ?」
「なあにジャンヌ。あいつとは始まってすらいないわよ」
「そっか。そうだよね、ルキアが……――」

 反乱軍に参加するために故郷であるマハールを離れてから、彼女たちが毎日こうして笑って過ごしてきたわけではないと知っているから。

「――でもさ、あの日はどうやって言いわけするつもり?」
 いたずらっぽい笑みを投げかけるジャンヌ。彼女が言いたい日のことは痛いほど分かる。マハールを解放して浮かれていたあの日。ルキアはドンファンと祝いの席から抜け出した。いや、久々に故郷の酒に酔いしれて、そこでまんまとドンファンに唆されたのだ。
「言い訳はしないわよ。ジャンヌが見たものが全て。でも酔って判断の鈍った女子を、介抱の名目で部屋に連れ出すなんて最低だと思わないの?」
「連れ込めたら勝ちだと思ってるからねー、アイツは。だから飲みすぎには注意しな、って散々忠告はしたじゃない」
「……反省するわ」
「よしよし。じゃあ私が見たことは、ぜーんぶ水に流しちゃうわ!」
 手を伸ばしてきたかと思えば、わしわしと頭を撫でてくるジャンヌ。丁寧に梳かした髪が乱れるが、相手が相手なので決して怒るようなことはない。それどころか事前に警告してくれたことを無視されて、それでも怒らないジャンヌの心の広さに今は感謝すべきなのだ。
「ありがとう。それじゃあ……」
「後は、アレをどうしてくれようか、かしらね」

 手を引いて、ジャンヌは力強い笑みと共に一つ頷いた。それにあわせるように頷いて、ルキアは視線を露店へと移した。共同戦線が張られたとも知らず、露店の賑わいは相変わらずだ。
 その中で一人、また違う女子に声をかけて失敗したのだろう。振り返りもしない背中に向けて小さく手を振ってから、ため息ひとつ。そして振り返り――彼は目を輝かせた。
「あれ、あれあれあれ? どうしたのかな、こんな場所に美女が二人も!」
「そっちの羽振りはよくないみたいね」
「……あらー、見られてた? どこから? 最初から?」
 ジャンヌの言葉に差し伸べかけた手を引っ込めて、ドンファンはしまったという顔で頭を掻いた。強く出られると弱いのは、今も昔も相変わらずだ。それでもジャンヌの尻を追いかけ続けているあたり、彼の執念も相当だと言える。
「三十分は前よね? ほら、もう氷が解けちゃったわ」
 そう言ってルキアはグラスを見下ろした。店に入って注文したアイスコーヒーは、外に出たとはいえあらかた溶けた氷が薄い水の層を作り上げていた。
「で、今日の首尾はゼロなんだ」
「ようはアレアレ……。声を掛けた子たちの年齢が若かったのがいけなかった。まさかボクの顔を見るなり、「おじさんじゃない」なんて言われるとは……! このドンファン、人生最大のショーック!」
「……笑ってあげないのルキア。こうして人の隙を突くのが上手いんだから、こいつは」
 大げさすぎる言葉と行動。それを加味しなくても、ドンファンの動きは面白くてつい笑ってしまう。だが長らく見てきたジャンヌにとっては注意すべきことだと分かっているらしい。窘められてしぼんだルキアの笑顔に向かって、ドンファンは爽やかな笑みを向けたのだった。
「おー、笑顔を失ったルキアの顔を見ているだけで、ボクの心に影が射したようだ。また君の太陽のような微笑みで、影を払ってくれないかい?」
「もう、また、そういうことばっかり」
 歯が浮くような言葉が流れるように出てくるのも、ドンファンがそのために頭を回転させているからだろう。それが本心でないことは理解できていたが、面と向かって声を掛けられるとむずがゆい気持ちになるものだ。
 何より顔が近い。ドンファン自身が面食いであることを自覚できるくらいに、彼は顔に自信があるようだった。そしてそんな彼にたびたびナンパされて、ルキアの中の平衡感覚が崩れてしまったのだ。
 ――つまり、男に求める顔の美醜の基準だ。

「……おやおや、太陽が恥ずかしがって翳ってしまったぞ。月の女神よ、そんな彼女に救いの手を」
「ふざけるのも大概にしろ、女の敵め!」
「あれ、あれあれ、再会した故郷の同胞の、感動の再会の場面じゃなか、痛いってジャンヌ、分かった、分かったから!!」
 びしり、と皮膚をきつく叩く音に、思わず周囲がざわつく。おそらくジャンヌが本気でドンファンの腕でも叩いたのだろう。これで少しはナンパが落ち着くかしら、と思いつつルキアが顔をあげると、立ち止まる人々の好奇の視線に晒されながらも、ドンファンはあくまでも飄々とした表情を崩さないようにしながら去って行った。
「……ふう。なんか、お茶できる雰囲気じゃなくなっちゃったね」
「うん。でもこれでよかったんだと思う。ありがとう、ジャンヌ」
「なーに、いつものことよ。 でも、本当にいいのね?」
「――いいのよ、これで。また明日になったら、違う女の子を追いかけるの。ドンファンって、そういう人じゃない?」
 ドンファンの去っていった方向を見た後で、ルキアはジャンヌに向き直った。そしてほっと胸をなで下ろす。自分の中で巻き起こっていた嵐は去り、太陽が再び顔を覗かせる。これでやっと前に進めるのだ。
「あの人はずっとそうだった。故郷で戦争が起こって、環境が変われば変わるかな、って少し期待した私がバカだったわ。でもきっとこの関係が続いていくんだろうなって。ね?」
「……そうやって何人泣かせてきたんだろうね、ドンファンは」
「ちょっと、ジャンヌ」
 感情を吐露するのと同時に、目じりが熱くなるのをルキアは感じ取っていた。ジャンヌはそれを見逃さない。遠くをひと睨みすると、ルキアににこりと笑ってみせた。
「まあまあ、また何かあったら追い払ってやるから安心しなさいって。それより口直しにもう一件どう? 確かあの店に――」
「……ありがとう」
 ジャンヌの言葉の力強さに感謝しながら、零れ落ちかけた涙を拭ってルキアはそっと気持ちを口にする。気を使ったのか向けられた背中に、寄りかからないで済む日は来るのだろうかとこっそり疑問を投げかけながら。

理由を探して
BACK← HOMENEXT

私的なジャンヌとルキアとドンファンの関係。長く付き合えば対処法も分かるし危ない人間ではないと分かるけれど、(主に女性関係に)だらしないせいで一つ屋根の下は簡便して欲しいのがドンファン。
変わらず攻勢をかけてくる彼にきっぱりノーを突きつけられるジャンヌと、嫌いになりきれず流されてしまうことのあるルキア。そんな彼女の言葉を信じて手助けするジャンヌ。
そんな腐れ縁。ネルボとジョイを最終的にどちらも口説き落として、やっと一息ってところでしょうか?
20180729



top