Novel / 遠雷


「ここに小屋があってよかったな。それにしても濡れた濡れた」
 服の袖を絞ろうにも、頭から垂れる水のせいできりがない。それは首筋から服の間を抜けていく。いっそのこと裸であればと思うほどの不快感に、ビュウは体をすっかり濡れた服で乱暴に拭ったのだった。
「ずぶ濡れよりマシとはいえ――その体には狭すぎるな。ごめんよ、サラ」
「ぎゃふー?」
 謝りながらビュウは顔を上げる。目と鼻の先にあるのはサラマンダーの顔だった。しかし彼女の答えを打ち消すかのような、大地を打ち鳴らす雨が二人を包んでいたのだった。

 カーナの夏の終わりを告げるのは、突然の雷雨だった。この頃になると、予報士がしきりに雨具を持ち歩くように告げるのだ。
 そして、突然の来訪者に対して街中では様々な色の花が咲く。高いところから見ていると不思議と楽しくなるものだった。
 しかし常日頃ドラゴンと行動を共にするビュウにとって、 雨具は手を塞ぐだけの邪魔者だった。そう言うとドラゴンは何のためにいるんだと反論されるだろうし、過去言われたこともある。だがそんな些細なことを気にしていたら異に穴が開くぞ、とビュウは一笑したものだった。

 そんなこんなで、二人は何度目かの雨に見舞われていた。
 いつもなら出かけた先の街中で降られ、軒先で身を寄せて雨雲が過ぎるのを待つところだ。
「俺だって多少濡れても」
「ぐふー」
「おっと。はは、サラは優しいな」
 ぐい、とスカーフを持ち上げられる感触と共に、ビュウの足が浮き上がり宙づり状態になる。自分がかがんでサラマンダーの腹の下に潜りこめば、この放棄された小さな小屋の軒にサラマンダーの体が収まると思ったのだが。
 立ち上がり笑いかけるビュウの耳にくふー、とに頬にかかる鼻息。当たり前です、とも心配させないでよね、ともとれる。その両方なんだろうな、と思いながらビュウはサラマンダーに身を寄せる。ふかふかの胸毛に沈む感触を堪能しつつも、彼の視線は二人を包む重い雨空に向けられていたのだった。

 多忙なビュウにとって一人の時間は幸福の瞬間であり、それは何にも妨げられることはない。しかしその貴重な時間の大半を彼はサラマンダーと共に過ごし、また彼女もビュウと共に過ごすことを望んでいた。
 いかに彼らが相思相愛であるかの小話は書ききれないほどあるが、今日の彼らは城からも町からも離れた草原地帯で戯れていたのだった。
「でもサラ、俺は心配だよ。このままだと風邪ひくぞ?」
「きゃうー……」
「覚えがないわけじゃないだろ? 看病できる分傍にはいられるけど、サラが苦しいと俺も苦しいんだ」
 雨で掻き消えそうな声を、いつもよりはっきり口にしてビュウは胸元を離れると顔を上げる。ぶつかりあう視線の先で、サラマンダーは軽く目を伏せると歯を覗かせたのだった。
「くふー……」
 鳴き声というよりはため息のようだった。きっとビュウの言葉が通じているのなら、今彼女の脳裏には熱に浮かされてぼんやり浮かぶ彼の顔を思い出しているのだろう。
 そうでなくても、目の前で困ったように笑っているビュウがいるのだ。彼女の頑固に見える意思も、一つの思いの前には無力だった。

 大切な人を、困らせたくない。

 びちゃびちゃ、と重い水音を立てながら、サラマンダーは数歩前に出る。同時にビュウが押し込まれて再び胸に沈み込むが、彼はそのまま中腰になると彼女が立ち止まるのを待った。
 くぴー、と鳴った間抜けな音は鼻息だろう。体が冷えている証拠だと心配しつつ、その場に座り込んだサラマンダーに倣ってビュウも地面に腰を下ろした。
「ほら、一緒に雨宿りできるだろう? それよりこんなに濡らして……」
 サラマンダーの翼の間から覗き込んで、ビュウはがくりと肩を落とした。もちろん彼女の体調も心配だったが、何より彼が出会って真っ先にほれ込んだ美しい被毛の変わりように口を出さずにはいられなかったのだ。
 燃え上がるような毛は芝生のように地面にへばりついて艶を失い、たなびく雲のような尻尾にいたっては萎びた青菜にしか見えない。
「……俺にも魔法が使えたらなあ」
「ぐふー?」
「ああそうだ。サラみたいに炎の魔法を使って、この雨雲を吹き飛ばしてやるのに」
 すっかり気分の落ちてしまったビュウを慰めるために振り向いたサラマンダーは、彼の言葉に驚いた。生まれてこの方空とは切り離せない生活を送ってはきたけれど、空そのものをどうにかしようなどとは露ほども思っていなかったのだ。
「ぎゃふ、ぎゃふ!」
 サラマンダーは座った姿勢のまま、肺に少し空気を吸い込んで雨空に向かって炎を吐いてみせた。だが多勢に無勢、空にたどり着く前に火炎はあっさりかき消されてしまう。
「きゃうふう」
「はは、さすがのサラも天気まではどうこうできないか」
 突然取ったサラマンダーの行動に目を見張りつつ、あっけない結果にしょんぼりした顔でこちらを向く彼女に微笑みながらビュウは手を伸ばした。
「くふー、くぴー」
「でもいいんだ、こうしていられるのも天気のおかげさ。しばらくこのままでいてくれるか、サラ」
 ビュウの告白に返事はない。代わりにビュウの体をマフラーのように首で包むと、彼の指先を誘導するように鼻先を翼の下にもぐりこませた。

「ふふ、こうして一緒に昼寝をするのもいつ振りだろうな」
 導かれるままに彼女の懐に寝転がって、ビュウは幼い二人の姿を回想していた。これから先、きっとこんな機会はそう訪れないだろう。
 だからこそ、今隣にある温もりを全身で感じていたい。
「――おやすみ、サラ」
「くふー」
 濡れて冷たくなった鼻先からなだらかな鼻梁へ指を滑らせ、そして暗闇の中でさえ輝きを失わない緑の目にそっと唇を落とす。ビュウは彼女にぴたりと身を寄せその宝石が明滅しながら見守る中、穏やかな気持ちで意識を手放したのだった。

 勢いが落ちることなく雨は降り、遠くの厚い雲を縫うように雷が轟き始めている。
 雨はしばらく止みそうになかった。

遠雷
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せっかく掘り出したのだから、同じシチュエーションかつサラマンダー女の子で一遍書いてみた。日付が近いのでどっちも似たようなものかもしれまない。
デート気分というか男女の親密さ、出せてますかね……?
特定のドラゴンをさらに女の子扱いすると、周囲の目が余計冷めたものになりそうで生きづらそうです。頑張れビュウ負けるなビュウ。
だからこそ、二人きりの時間は秘密のデートなんです。その意識がいつ双方に生まれたのかが気になります(訳・読みたい)。
20180903



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