微睡みの中、ラッシュは頭をもたげた。
視界は闇に覆われていて、とにかく今がまだ夜なのだと言う事しか彼には理解できなかった。
窓に寄り添うように備え付けられたベッドに寝ていた彼は、ここで目覚める前の出来事を思い出そうとして左のこめかみが鋭い痛みが貫かれた。思わずそこを庇うように掌で抑えると、弱った獣のようにゆるゆると身体を起こした。
その身体を覆うように掛かっていたシーツがさらさらと腰まで落ちる。カーテンの掛かっていない窓に視線を移すと、貧相な窓枠にはめられた窓が風を受けてカタカタと音を立てていた。そのガラスに映るのは、自らの鍛え上げられた上半身と見慣れたカーナ城下の町並み――。
……カーナ?
眼前に広がる景色を見てえも言われぬ感覚に陥ったラッシュは、不安の種を取り除くべく窓の反対側、つまりは扉があるであろう方向に目線を動かし、
そして目の前にある人型のそれを認めざるを得なかった。
「……どういうことだよ」
ラッシュはひとりごちる。その問いに目の前の塊は何も発さず横たわるだけ。
こめかみの痛みは引くことなく寧ろ鈍痛に変わりつつあり、彼の思考の一切を妨害していた。
見たところ顎の下まできちんとシーツを引き上げて眠っているであろうその人物に、彼は心当たりがあったがすぐに視線を逸らすとゆっくり立ち上がった。
にわかに信じられなかったが、彼は全裸であった。
とにもかくにも先ずは服を、とラッシュはその人物を踏みつけぬよう足の方から音を立てぬようベッドから下りると床に脱ぎ散らかした衣類を見下ろした。
ベッドの傍らに置かれた股下サイズの古ぼけたチェストの上に置かれた年季が入っているであろうランプから漏れる頼りない光が、あえてその衣類が二人分の物である事をラッシュに教えていた。
その中から自分のパンツを摘み上げると、たまらず声が口から漏れ出た。
「一体どうなってんだよ……」
「……貴方が連れてきたんですよ」
「……ッ?!」
瞬間、ラッシュの身体は凍りついた。
『彼』の顔はチェストの丁度影に入っていて、ランプの光が届かずそこだけ闇が落ちているかのようだった。
声に聞き覚えはある。いや忘れようがない。でも思い出したくないおもいだしたくないオモイダシタクナイ……
ラッシュは思わず頭を両手で抱えた。こんな自体があってたまるか。しかし『彼』はラッシュの記憶にさらに揺さぶりをかける。
「貴方が、確かに私をここに連れてきたんですよ、ラッシュ」
「……トゥ……」
言いかけて、ラッシュは『彼』に視線を送る。いやそんな筈がない。あってはならない。
『彼』の声は輪を掛けるように大きくなる。確かめたくない現実は、確かにここにあるのだ。
闇を見つめたまま凍ったように動かないラッシュに、『彼』は静寂を打ち破るように口を開いた。
「はっきり言いましょうか。貴方が自らの意思で、私をここに連れてきてXXXしたんですよ、ラッシュ」
「嘘だ!」
彼が言い終わるのと、ラッシュが反発するのはほぼ同時だった。ラッシュはその言葉を切り捨てるかのように叫ぶと、『彼』に向かって飛び掛る。たちまち馬乗り状態になると、ラッシュの目にはっきりと『彼』の顔が写りこんだ。
「……せめて起き上がらせてくれませんか」
「だって……どうしてお前なんだよ、トゥルース」
「だって、じゃありません。少しは落ち着いたらどうです」
馬乗りの勢いで肩にまで手をかけたラッシュに対して、ただ淡々と『彼』…トゥルースは声を掛ける。これではまるで子供を諭す母親のようではないか。
「す、済まねぇ……」
あまりにもいつも通りの調子なトゥルースに、ラッシュは突然とはいえ己の行動を恥じた。トゥルースから素早く退くと床の上に座り込む。興奮のあまり握りしめていた右手を開くと、くしゃくしゃに丸まったパンツが力なく股座に転がり落ちた。
トゥルースはゆっくり身を起こした。くしゃくしゃになったシーツが彼の肌を滑り降りると、やはりその姿は裸だった。下半身こそ未だに隠れているとはいえ、そこは想像する通りなのだろう。
ラッシュはいつも見慣れているはずのトゥルースの上半身と顔を、意識して眺めた。
本人の悩みの種だという筋肉のつかない肉体は必要最低限まで余分なものが削られ、それでいて白陶器で出来ているかのような白さと滑らかさを持っていた。連なる顔は小さく人形のようでいて、知性を讃えた黒い瞳がランプの明かりを映して水辺のように静かに揺れていた。
「……本当……に?」
ラッシュは未だここに来て半信半疑だった。疑わなければ、積み上げてきたものが灰燼に帰してしまいそうで怖かったのだ。
「何を言っているんですか、そうやって貴方は……ラッシュ?」
半ば呆れた表情を浮かべるトゥルースだったが、顔を伏せるラッシュを見て身を乗り出そうとした。
「そこを……ッ、動かなくていいんだトゥルース、どうもさっきから頭が痛くてな」
「そうでしたか、それはあれだけ普段飲み慣れない物を摂取したらそうもなりますよ」
「んな……」
反論しかけたラッシュを片手で制すと、トゥルースは苦笑を浮かべながら下半身にシーツを器用に巻きつけてベッドを下りた。そしてラッシュと同じく床に膝を折って座ると、彼の顔を心配そうに覗きこんだ。
「だから動かなくていいって言ったのに……」
「……すみません」
微笑みすら交えながら答えるトゥルースを見据えながら、ラッシュは先ほど浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「んで……さ、さっきトゥルースが言ってた飲み慣れないなんたらってなんだよ」
「ああ、先ほどの話ですね。そもそもラッシュ、どうして私たちがここにいるか覚えていますか?」
「え、ああ、そういえばそこからさっぱりわかんねーんだ。はは、笑っちまうだろ」
「笑い事じゃないですよラッシュ、夜が明けたら念のため医者に行きましょう」
「医者?!やめてくれよ、オレはそこまで重症じゃ――」
笑って言葉を返したつもりだったが、意に反してトゥルースは右手を床につけるとずいと顔をラッシュに寄せた。黒いビー玉のような瞳に吸い寄せられそうになって、ラッシュはついと視線を逸らした。
「……仮にも初夜を過ごした相手を、多量の酒が原因でみすみす亡くしたくありませんから」
「しょ……っ!初夜って、おい、トゥルー……」
驚愕の言葉がトゥルースから飛び出し、再び彼の顔を目を丸くして見やるラッシュに、トゥルースは表情一つ変えずに言葉を紡ぐ。
「事実は覆りませんよ。それとも何です、『これは事故でした、無かった事にしてくれ』と言い出すつもりですか?」
トゥルースの顔がますますラッシュに近づく。目線はラッシュの視線にぴたりと張り付き、まるで射竦められたような感覚。視線を一ミリたりとも動かせぬ、まさに蛇に睨まれた蛙。その上感情を読み取る事の出来ない深い闇を潜めた瞳は、触れれば最後飲まれ尽くされてしまいそうですらあった。
「ち、ち、がっ……」
にじり寄られただけで、首を絞られたような声を出すのが今のラッシュには精一杯だった。額を流れる脂汗。彼の本能が、これ以上ここにいてはならぬと警鐘を鳴らしていた。
「違う……んですよね?」
トゥルースの瞳がすう、と細められる。闇に飲まれた半月のようだと内心思いつつ、精神的に優位に立たれているラッシュはひたすら首を縦に振ることしか出来なかった。
しかしその必死の想いがトゥルースに通じたのか、彼はラッシュから顔を離すと朗らかに笑いかけた。
――先ほどとそう表情は変わらない筈なのに。
「そうだよ、そうそう!じゃなきゃそのなんだ、好きな相手の『はじめて』を簡単に奪えるわけ、ないだろっ」
「好きな、人の」
「そこを強調しなくていいだろっ」
「ラッシュ……照れてます?」
「んなことねーよ!」
子犬同士のようなじゃれあいの末に、ラッシュが見たのはいつも通りに頬を僅かに染めて照れるトゥルースの笑顔だった。ラッシュもまたトゥルースから同じように見られているのだが、今の彼にそこまで思考する余裕はなさそうだ。
「……では、事を順に追おうと思うのですが」
「おう」
「……ラッシュは本当に何も覚えていないのですか?」
「……おう」
改めて面と向かって聞かれると、丸々何も覚えていない事でトゥルースに対して申し訳なく思えてきた。
「貴方の語尾が萎むなんて珍しい。では始まりから掻い摘んで説明しますね」
母親を目の前にしたようなラッシュのしょげ方に、トゥルースはくすりと微笑んだ。
***
今日はカーナの祝日で、商いもないので三人揃ってカーナにやって来た事。
粗方の用事も終わったのでたまには酒でも飲むかとバーに来た事。
始めは三人仲良く飲んでいたが店の常連らしき連中に絡まれた事。
飲み勝負が始まったため、引くに引けず三人とも飲み始めた事。
しかし普段飲み慣れていない自分たちを見越してビッケバッケが避難させてくれた事。
結局それからもちびちび飲み続けてラッシュがすっかり出来上がってしまった事。
状況の悪化を見越して、ビッケバッケに休憩してくると言い残して店を出た事。
宿を取ってラッシュを休ませようとしたら興奮した様子でベッドに押し倒された事。
***
「……で、気付いたらこうなってたと」
「気付いたら、ではなくて最後までラッシュの意志で行われたんですよ?本当に記憶にないんですか」
「ない。さっぱり」
「きっぱり断言する所ではないですよラッシュ……」
ラッシュの余りの清々しさに、トゥルースは肩を落とすしかなかった。しかし何かを思い出したのか突然含み笑いを始めたトゥルースに、ラッシュは疑問の眼差しを向けざるを得なかった。
「なんだよ突然」
「い、いえ、思い返したらラッシュがあんな言葉を、ふ、考え付くなんて、ふふ」
「あんな言葉って何だよ、オレが一体何を言ったって」
「気にしないでください、ふふ、そんな言葉を受け入れた私も私ですから、ふっ」
「だからいちいち笑うなって、教えてくれねーと」
ラッシュは言葉をそこで切ると、両膝で立ち上がりトゥルースの両肩を握りそのまま引き寄せ唇を奪った。一瞬の出来事に呆然とするトゥルースをよそに、そっと彼を解放したラッシュはしたり顔で言葉を続けた。
「こういう事すんぞ!」
「過去形で語らないでください!」
状況を飲んだトゥルースはすかさず頬を朱に染めて叫んだ。静寂を保っていた空間に、たちまちトゥルースの罵声が響き渡った。
「そもそもなんです、ラッシュは今回の出来事について何も思わないんですか、仮に私達が交際を始めてどれくらい経ちますか?」
「忘れた」
「……全く、それはともかく一線を越えたというのに貴方の記憶はすっかり酒に飲まれ、どういった経緯でここにたどり着いたのかすら酒で流してしまおうと言うのですか!」
一気に言い切って肩で息をするトゥルースを見据えながら、ラッシュはゆっくり口を開いた。
「そのなんだ、要するにトゥルースは1から10までオレが全く覚えていないのが不満な訳だ」
「……そうですよ」
「つまりは、だ。1から10まで忘れないような事がしたいって訳だよな?」
「えっ、いやその、あの」
狼狽するトゥルースをよそに、ラッシュは彼を下からひょいと抱きかかえるとベッドの上に優しく寝かしつけ、自らも彼の腹の上に馬乗りになった。
「待って、ください、確かにしたくないと言ったら嘘になりますが、ラッシュの体調が万全ではない今最優先すべきは、」
「オレの体調だって言いたいんだろ、いつもそうやって気遣ってくれるのは嬉しいぜ、ありがとなトゥルース」
「ラッシュ……」
「でもな、トゥルースがオレを身体ごと受け入れてくれたって言うのが凄く嬉しかったから、オレ、」
ラッシュはそこで言葉を切ると、トゥルースに顔をずいと寄せた。彼は言葉もなく、瞳はランプの淡い光を映しながら優しくラッシュに視線を注いでいた。
「もう、我慢できねえ」
肺の中の空気を全て吐き出すようなラッシュの一言。そこから流れるようにトゥルースの唇に触れると、むしゃぶりつくすように口内に舌を這わせる。
ラッシュの猛攻を受け入れながら、トゥルースは言葉もなく自らの腕をラッシュの頭に回して抱きしめた。
二人の夜はまだ、始まったばかり――
以下反省会。
事の発端は「自分が二人の事後を見たい」 ただそれだけだったんです。欲望丸出し万歳。
ところがいざ書き終わってみたら「トゥルースちゃんの処女をラッシュが酒の勢いで頂いちゃう話」になってました。どうしてこうなった。
しかも直接的な部分は書く予定がなかったのでこんな事に。大体自分のせい。本当に申し訳がないです…orz
尚、トゥルースの発言の「XXX」はお好きに喋らせるといい感じだと思いますよ!(丸投げとも言う)
後書きたかったのはトゥルースちゃんが固執する余りにヤンデレ的な部分が見え隠れするところ。長ったらしいね!
あくまでも勢いで書いて細かいところは全く想定していなかったので、どこかで似たネタが出ても全く掠りもしない可能性がありますことをご了承ください…。
二人が最後幸せいちゃいちゃまろやかだったらそれでいいんだよッ!
2012/04/20