「さてさて、今日も仕事に向かうとしようか。サラ!」
「きゃうう!」
春はまだ遠い、凜とした空気と澄み渡るカーナの空。その臭いが血なまぐさくないことを確かめるようにひとつ深呼吸をすると、ビュウは相方の名を叫んだのだった。
人々の信仰を集める聖国カーナ、その王都の外れに男はドラゴンと共に住んでいた。
本来なら彼の立場上居住地を縛られる必要はなく、彼自身もまた隠居をするつもりでいたのだが世間がそれを許さなかったのである。
救国の英雄、平和の運び手、神の乗り手――。
二つ名どころではない呼び名が増えて、頭を悩ませていたのも今は昔。祭り上げられていたことも落ち着きはしたが、彼の人生に課せられた役割があるかぎり、人々は彼と彼に寄り添うドラゴンを畏敬の念をもって見送るのだろう。
そんなドラゴンの声を聞いて表に出てきた人々と挨拶を交わしてから、彼は素裸の背中にひらりと飛び乗り指笛を吹いたのだった。
縁を石柱に囲まれた、石畳の巨大な広場。その前には人を見下ろすように巨大な神殿が建っている。舞台のように一段高いそこに上がることを恐れるように見張りのランサーが立ち並ぶ中、二人はひらりと舞い降りると数歩歩み出た。
「あっ、ビュウさん。おはようございます!」
「おはよう。何か変化は?」
「きゃうー……」
「何も……サラマンダーもおはよう」
「きゃふふー」
相方がびしりと敬礼を返す一方で、私はといわんばかりに突き出されたサラマンダーの鼻筋を、門番は頬を緩ませて撫でる。嬉しそうに喉を鳴らす彼女の仕草に、二人も自然と表情をほころばせたのだった。
道を塞ぐというよりも旧友に会えた嬉しさに駆け寄るようにやってきた二人は、昨日の興奮が未だに冷めないのか年甲斐にもなくはしゃぐ。
「久々にバハムートが帰ってきたって言うんで、ランサーみんな昨日は大騒ぎだったんですよ、なあフルンゼ?」
「……レ、レーヴェだってそうだろ!昔の仲だからビュウさんを出迎えられるのは僕らだけだってあれだけ――痛ッ!」
流れるように後頭部を槍の柄で打たれて、門番の一、ランサーのフルンゼは涙目で頭を抱えた。バイザーを被っているとはいえ、広場に響く鈍い音はその威力を物語っているようだ。
「くうー……」
「だ、大丈夫だよサラマンダー。やっぱり君は優しいよねえ。久々に会ったけど変わりなくって安心したよ!」
「君たちもな。……それであれだけ見張りが立ってるってわけか」
小さなため息とともに、ビュウは神殿のドアの両脇にずらりと並ぶランサーたちに小さく手を振った。
それと同時に空気がざわめく。国一番の有名人であり憧れの騎士に、朝から一斉にとはいえ挨拶をしてもらったのだから嬉しくないわけがない。たまらず手を振り替えして叱られている様子を微笑ましく見ていたビュウだが、本来の目的のために二人に視線を戻した。
「バハムートを迎えにきた。少しだけサラマンダーを見ていてくれないか?」
「わかりました!!」
些細だけれど、重大な任務。その気合いの入りすぎた返事ににこやかな笑顔を返して、ビュウは一人神殿へと足を踏み入れたのだった。
***
降り注ぐ日の光が舞い踊る埃に反射してきらきら光る。
耳が痛くなるほどの静寂の中、ただ一つ鎮座するそれはえも言われぬ存在感を放っていた。
鎮座する黒曜石の塊のような放つ巨大な竜の石像は、皮膜を彩る夕焼けの色と相まってこの世のものではないような錯覚を覚えるだろう。
だがビュウが足音を響かせると一対の光球が薄暗い部屋をあまねく照らし、首をもたげたかと思うと彼をまっすぐ見据えた。
何も知らない人でも一目散で逃げ出しそうな、畏怖と尊敬の念を思い起こさせるその存在は恐れることなく目の前まで歩いてきたビュウに向かって口を開いた。
「――今日も乗ってきたのか」
「またそれか、バハムート。別にいいだろ、一緒に住んでるんだから」
「むう……」
腹に響くような音を立てて竜は唸った。実際この音は外に響いているだろう。外のランサーたちが騒いでいなければいいのだが、とビュウが心配するのをよそにバハムートは納得しない様子で喋り続ける。
「わざわざここに戻ってきたのだぞ、徒歩でも十分だろう。それが嫌なら馬でも馬車でも使えるだろうに――」
「せっかくだからこの後戦竜隊に預けるつもりで連れてきた、と言っても納得しないのか?」
先ほどまでの威厳はどこへやら、一人の男の前でもごもごと注文をつける姿はそうそう見せられないだろう。そんな滑稽な姿にビュウが苦笑しながら話を締めると、バハムートは金色の目を見開いた。
「そうか。それなら勘弁してやろう。返答によってはお前の生家を見ていこうかと思っていたところだ」
「まったく……。で、どうして突然ここに戻ってきたんだ?」
日夜オレルスを駆けるビュウにとって、予定のない母国への帰還は喜ばしいことでもあった。据えた匂いの寝具を洗い、サラマンダーと大地に寝転び、一緒に市場に買い物に出るだけでも日記を何ページでも書けそうな充実感を得ていた。
一方そんなことは露程も知らないバハムートは、あきれたように長い息を吐いて答えた。
「ヨヨと……アレに呼ばれている、ビュウはなぜ知らない?手 紙のひとつでも来ているか人でもよこされているはずだろう」
「ああー……」
頬を書きながら苦い笑顔を浮かべて顔を背けるビュウ。心当たりはあるのかもしれない。そんな彼の性格を読んでいるかのようにバハムートは小さく鼻息を吐いた。
「やはりお前というやつは適当だな。よこされた人間の気持ちを考えたらどうだ」
「分かってて説教に入るのもいつも通りだなバハムート、そうだよ多分聞き流してた。手紙は読んでないしなによりあの紙の束の中から探すだけでも骨が折れるぞ」
ため息と共に下を向き、ビュウは念を追い払うように右腕を回してみせる。彼の元には、行く先行く先にヨヨの言付けを伝えるメッセンジャーが存在する。らしい。聞いたことがないからビュウは知らないが。彼らもビュウと同じように立派な任務としてこなしているのだからとやかく言いたくはないのだが、監視されているかのように行動の報告を義務にされては話の一つも聞き流したくはなるだろう。
この気持ちを誰かに愚痴ってもいいだろうか、と思ったビュウの脳裏に、懐かしいかつての舎弟の顔が浮かんだ。
「分かっているならそれこそバハムートが覚えておいてくれていいんだぞ?」
「何を今更。私の役割は――」
「人の行く末を見守ること、だろう?」
鼻先で笑ったかと思えば、バハムートとビュウの声が被る。そしてビュウも鼻で笑うと拉致があかないと言いたげに首を振って見せた。
長い付き合いだからこそ、と言えばいいかもしれないが神と称されるドラゴンと人とが同じ立場でなれ合っている様子はとても奇妙に見えた。周囲の人間が見たら騒ぎそうだ。
「じゃあ行くか。と言いたいが、待つのか?」
「いいや、どうだか。とりあえず外へ出るか、表がにわかに騒がしいからな」
「はは、誰のせいだと思ってるんだか」
苦笑とともに、ビュウは前へ踏み出した。もちろん表に戻るためだが、人間のために作られた神殿は狭くとてもバハムートが通り抜けられるはずもない。
その時背後からのすさまじい風圧に襲われ数歩たたらを踏む。視界を覆うマフラーをのけつつ振り向くと、幾度となく惚れた鮮やかな翼が広げられたところだった。
「先に行くぞ」
そう口にして、彼の頭は点を目指すように空に向かい、水をかくように羽ばたくと神殿の天井向かって「飛び出した」。 そう、この神殿はかつてバハムートが肉体を取り戻してからというもの天井が抜けたままになっていた。と共に、いつでも主が帰ってこられるようになっているという訳だった。
「バハムートだ……!」
「バハムート様だろ不敬な!」
ビュウが表に戻るまでに、騒ぎは一層大きくなっていた。そもそも彼らは帰還を知らされていなかったのだろうか、初めはいなかったはずの兵士やメイドまでもが広場を巻くように集まっては歓声を上げていた。
「……さすが神竜様だな。バハムート!」
その右手は、指揮棒のように群衆を静まりかえらせる。注目する視線、驚愕に開かれる目。だがそれらに驚いたのも初めの数年だけだ。今では厄介な親友腐れ縁?であるバハムートの両目はビュウを見据え、申し合わせたように群衆は両者への道を空けたのだった。
「どうやったらこんなに人が集まる?」
「知らぬ。ただ私は入った時と同じように、敷地を一周して降りただけだ。ヨヨの姿はみかけなかったがあいつは反応したぞ」
「――なるほど」
たまらずビュウはがくりと肩を落として嘆息した。彼の言う敷地とはもちろんカーナ城のことだ。確かにそうすればヨヨの所在ははっきりするが、それ以上に余計なものまで招いてしまう。ただ喜びと嘆息に満ちた人々の顔を見ていれば、あながち間違っていたともいえないのかもしれない。
「きゃう!」
「サラ。おいで」
「うきゃふう!」
そんなビュウを元気づけるように、バハムートの陰からサラマンダーがひょこりと姿を現した。呼びかけに応えて全身で向かってくるその胸元に、ビュウは遠慮せずもたれかかったのだった。
「――――」
だがその間も後も、巨大な存在は無言で圧力をかけてくる。こういう時こそ心に呼びかければ早いのにと思わずにはいられないが、不平等だ何だと言っていつからかやめてしまったそんな彼がもどかしくて愛おしくもあった。
「わかったわかった。で、あれは何て?」
「準備中だとか移動中だとか言っていたな。そのうち姿を――おや」
離れると同時に磁石のように顔を胸元にすりつけ甘えてくるサラマンダー。そんな彼女をなだめつつ彼の同類の話を聞いていると、にわかに周囲がざわめきだした。
もちろんバハムートは誰よりも最初に気づいたのだろう、すっくと首を伸ばして一点を見つめる。やがて群衆の視線は彼らを素通りし王宮へと続く廊下へと向けられる。その人垣が開かれたかと思うと、その先には三者にとってしばらくぶりの顔があった。
「ビュウ。バハムートにサラマンダーも。元気そうで何よりだわ」
「――女王。お元気そうで何よりです」
三人それぞれに微笑んで、ティアラを頂いたヨヨ――いやカーナ国女王は小さく会釈した。その前に進み出て膝を折ろうとしたビュウは、彼女の視線に困ったように笑って立ったまま丁寧に会釈を返した。
周囲は水を打ったように静まりかえっている。バハムートとヨヨ、それぞれ国の象徴ではあったがやはり人民を率いる立場である彼女の存在は特別なのだ。
「久々にカーナに帰ってくると聞いて、たまらず出てきてしまいましたが……。ここでは長話はできなさそうですね。後で私室に来てくださる?」
「わかった。そうしよう」
短くそう答えて、ビュウはヨヨを送るべく一歩を踏み出した。それを合図にヨヨは優雅に踵を返し、彼を護衛に元来た廊下を歩いていく。
カーナの一時代を築いたカーナの女王と戦竜隊長。お互い元の称号こそつけども、二人の姿は枠にしっくり填まり、人々の安心をもたらした。だからこそ彼らの視線は姿が見えなくなるまで追いかけ、目に焼き付けようとするのだ。
「……見られてるな」
「ふふ、みんなにとってあなたは親衛隊隊長、になるはずの人だったんだもの」
事態を面白がるように、ヨヨは笑みをこぼしながら振り向いた。
王宮につながる廊下は片側を背丈ほどある植木に覆われ、ちょっとやそっとじゃここで起こったことは外に漏れることはない。それでも未だに視線が刺さる気がするビュウは、苦笑とともに頭を掻いて精一杯の反論をする。
「この立場に任命したのも呼び寄せたのもヨヨなのに難儀な立場だよな、俺って」
「オレルスの目になってくれているのはとても感謝しているのよ?だから今年はちょっと羽目を外してもらいたくて呼んだの。分かるかしら?」
「……今年で何年だ?」
足音だけが響いたのはほんのわずかだった。本当に彼女だけの意思で出てきたのだろう、開け放たれた扉の前には見張りもおらず、一人出てきた彼女に従う兵もいない。というより奥から慌てて駆けてくる足音がそれなのだろう。
そんな彼らに捕まる前に言伝を口ずさむ少女のような微笑みを浮かべて、ヨヨはドレスの裾を翻したのだった。
「今年で即位25年。いつかぶりの舞踏会を楽しみましょう?」
竜と銀のロンド
バハムートラグーン、25周年おめでとう~!!
というわけで書き始めた訳ですが余裕で間に合いませんでした。
ですが祝いたい気持ちはあるので上げておきます。
予定では前中後編の三部に分けて2月中に上げきる予定なので、良ければ読んでください。そして感想ください。
推しはビュウサラ、バハビュウです。ホネビュウは公式でドラゴンの人間パパママ認定なのが熱いです。公式ですよ公式……!!!
20210209