Novel / ボクの知らないキミの顔


「……おやビュウ、まだ帰ってなかったのか」
「パ…………おとうさん」
「今は気をつけなくてもいいんだよ、訓練は終わってるんだからね」
 一瞬の気の緩みに、慌てて口を閉ざして首を縮める小さな男の子。とうに家に戻っているはずの息子の姿に、父親は膝を折って目線を合わせるとにこりと微笑んでみせたのだった。

 カーナ王国、その首都である城下町。
 二人は国の防衛を担う騎士団の長と、その将来を担う存在だ。
 とはいえまだ正式に加入するには若すぎることもあり、本人の希望もあって特例として父の所属する部隊に見学という形で日々交わっているのだった。

 木立のさえずる音と、今年鳴き始めたばかりの虫の羽音が耳に心地よい。
 あの子なら一緒になって虫を探してくれるだろうか、そんなことを最初に考えてしまった少年の意識を引き戻したのは、心配に眉をしかめた母親だった。
「ビュウ、どうしたの? 最近ぼーっとしてばかりじゃない」
「なんでもないよ、ママ!」
 にいと歯を見せて笑い、スプーンでシチューを掬うと口へ放り込む。むぐむぐと小さな口を動かしたかと思えば、満面の笑みが食卓に咲いたのだった。
「すっごくおいしいよ! これなんのおにく?」
「子羊よ。 ……もう、食べないのにスプーンでかき混ぜないの」
「あっ。 ……ごめんなさい」
 しゅんと肩を竦めるビュウを、父も母も笑顔で見つめている。そっと視線を上げた彼は、その様子にほっと一息をつくとゆっくりと食事に戻った。

「最近なあ、ビュウが俺が帰るまで待っててくれるんだよ」
 相変わらず和やかな食卓に、父親の柔らかな低音が響く。ここ最近で一番の変化であるだけに、母親はすかさず顔を上げて話に食いついた。
「あら、いつもならおやつ欲しさにまっすぐ帰ってくるのに。もう親孝行なんて、まだまだ可愛いだけでいいのにねえ」
 日が暮れる前には帰っていたビュウの夕餉の量は、彼が帰る時間と直結してここ最近増えていた。それはそれで幸せではあったのだけれど、事実とは違う母親の早とちりに言うに言えないビュウの青い視線が遠慮がちに彼女を見ていた。
「……そうじゃないんだよな、ビュウ」
「えっ」
「やっぱりそうなのね。 ねえビュウ、お話してくれる?」
 スプーンを思わずシチュー皿に落として言葉に詰まるビュウを、母親はいつもの和やかな顔で見ている。その緑の目が一瞬父親に向けられた意味を、分かっているのか彼は困ったように頬を掻いた。
「あのね……。 サラマンダーとずっといっしょにあそべてないんだよ。おとなのひとにきいても、いそがしいからだめだーって。ねえパパ、ボクきらわれちゃったのかな?」
「どうなのかしら、あなた? サラマンダーはビュウの一番の友達だって言うのに、まさかそんなことはないわよね?」
 不安に目を潤ませるビュウと、事実を確認したい母親の穏やかな表情からは考えられない鋭い矢に射貫かれて、父親は小さく首を横に振ってから答え始めた。

「二人とも誤解だよ。実は今、若いドラゴンたちは集中的な特訓を受けさせてるんだ。 ……ビュウ、サラマンダーはどういうドラゴンかは言えるね?」
「ひとといっしょに、たたかってくれるんだよね?」
「そう。それを戦竜、って言うんだ。その基礎を幼い彼らに学んでもらって――ただ人に慣らしていた時期から卒業させようって話なんだ」
「せんりゅーさんになるから、ボクとあそべないの?」
 質問に正解しても、難しい父親の説明からもこれからもドラゴンたち――特にサラマンダーと今までのように遊べないのではという不安がビュウの胸をどんどん締め付ける。不安に両手を握りしめたとき、不意に父親の表情が柔らかくなった。
「その心配はしなくていいよ。ただ、明日テストがあるんだ。それに合格しないとまだしばらく遊べなくなるから……ビュウもいっしょに応援しようか」
「する! する! みんなみんな、がんばれーって!」
 がたんがたんと椅子が揺れ、机にぶつけた膝が皿を動かす。かすかに揺れるランプの向こうで、母親の次の獲物はどうやらビュウへと変わったようだった。
「ビュウ。ご飯は静かに食べましょうね」
「はあーい……」
 小さくごめんなさいのつもりで頭を下げながら、ビュウの頭の中はもう明日のことでいっぱいだった。自分の知らないサラマンダーのもう一つの顔。それがどうして自分の呼吸を荒くするのか、その理由を知るにはまだ長い時間がかかりそうだった。
ボクの知らないキミの顔
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第168回二代目フリーワンライ・ボクの知らないキミの顔/ビュウとサラマンダー……?
久々ワンライです。肝心のサラマンダーの姿が見えない。こういう行き違いはたまにはあるだろうな~と思うわけです。別の観点から書けば良かった……かも……(今更)
2021/06/19



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