Novel / 荒れ狂う水の流れに


 青く高く澄んだ空に、薄い雲が流れていた。強い風は肌に冷たく、道行く人々はときどき腕をさすりながら足早に通り過ぎていく。
 だが子供たちにとってそれは些細なことだった。大人たちの間を軽やかに駆け抜け、彼らは喜びを全身で表しながら水溜りを踏み散らした。

 だがそんな彼らと年の差はさほどないはずの三人は、その足音の届かない暗がりの中を進んでいたのだった。

 「あーあー…………おい、何か言えよ」
 「何かって言われても、ねえトゥルース」
 「いいですか、ラッシュ。いかなる場所でも、命令ならば立派な仕事です。しかもこの辺りの地理に詳しい私たちにぴったりの場所を、隊長は指定してくださったんです」
 「ですから――」
 「わーった、わかった! ったく」
 トゥルースの言葉を遮って、ラッシュはわざとらしくため息をついた。濡れ落ち葉の匂いが多少鼻につくがすぐ慣れるだろう。いや、それよりは別の匂いが漂うことに内心怯えていたのかもしれない。いつも以上に落ち着きのない言動に、傍を歩く二人は心配そうに顔を見合わせたのだった。


 周囲を深い堀と壁に囲まれた聖国カーナ。その王都の地下には治水のための水路がいくつも作られていた。上水と汚水、そして街中を流れる水路の管理をするためのものだ。それらの管理は様々な団体に任せられていたが、町の安全に直接繋がる水路の管理は国の管理下にあった。そしてその仕事が回ってくるのが、まさに普段町の平和を見守るナイトたちなのだった。

 「よりによって今日の獲物がこれだって思わねーだろ? だって俺ら、これでもナイトだぜ?!」
 「あ、危ないよラッシュ、振り回さないで~!」
 「お、おう。悪かった。予想以上に軽いのな、スコップってやつは」
 先を歩くラッシュが一周ぐるりと振り回したスコップの先が鼻先をかすめて、たまらずビッケバッケは抗議する。振り向いたラッシュは苦笑しつつ小さく頭を下げると、改めてスコップをベルトにつけたバックルに固定した。いつもなら鞘が刺さっているはずだが、今日だけは大人しく留守をしている。その代わりというべきか、いつもは空いている左のベルトには動きを妨げない長さの鍬がくくりつけられていたのだった。
 「これも初めは喜んじまったけどよ、どうにかして剣になんねーかなあ」
 「背中に括れば楽になるのに、それを拒否したのはあなたですよ。ラッシュ」
 「見た目だけならアニキみたいだもんね! どっちも鉄でできてるし、構えたらカッコいいかもしれないね!」
 「よっしゃー……って、そんな言葉に踊らされるか、よっ」
 「えへへ、そんな簡単に当たらないもんね!」
 振り返ると同時に、ラッシュは後ろを歩くビッケバッケの頭上に手刀を下ろしたはずだった。だがそれは空しく宙を切り、事前に立ち止まっていたビッケバッケはにこにこ笑う。そんな彼のベルトに括られた小さなランタンが一連の流れをしっかり映していた。

 「もう、ふざけるのも終わりにしませんか? そろそろ目的地のはずです」
 「やっぱトゥルースは頼りになるな!」
 「ぼくたちが地図を上手く読めないのがいけないんだけど……。トゥルースありがとう!」
 不意にかけられた声に、二人は振り向いた。ちょうど水路の壁の切れ目、換気のためにつけられた鉄格子の前で彼は立ち止まっていた。その隙間から入る外の明かりで地図を照らし合わせて、ここが終点だと目星をつけたのだろう。
 はにかむトゥルースの向こう側で、空気の渦巻くごうごうという音が彼らの興味を引いたのだった。
 「ほら、あっちから音がすんだろ? ここが突き当たりじゃないなら、あっちには何があるんだ?」
 「行ってみてもいいと思いますよ、私は先に降りてますからね」
 「えーっ、ボクどっちに行こうかな……」
 きょろきょろするビッケバッケを置いて、トゥルースは手近な鉄の手すりから続くハシゴを使い階段枯れた水路へ下りていく。一方ラッシュは仲間を増やそうと声を弾ませたのだった。
 「ほらビッケバッケ、来てランプを貸してくれよ」
 「分かった!」
 一人だけランプを持たされたビッケバッケは請われるままに、ラッシュの元へ駆け寄った。だがその足はすぐ止まる。トンネル状に作られた水路の上から下まで太い鉄格子が行く手を遮っており、ランプの明かりに照らされたその先も水路が続いており、水が枯れた今はただごうごうと風が流れていたのだった。
 「通れそうにないね……」
 「でも水場が近くて、人から見つかりにくいんだから隠れ家にはぴったりだよな。ガキん時に見つけたかったぜ」
 「結局道具がないと入れないんですから、どの道入れませんよ。さあ、作業を始めましょう」
 下からトゥルースの声がかかる。その手にはマンホールを空けるための道具が握られていた。それを認めて小さく舌打ちすると、ラッシュはビッケバッケの肩を軽く叩いてからハシゴを下りはじめた。

 「わあ、結構ふかふかしてるね」
 最後に降り立ったビッケバッケは、上との高低差を確かめるように視線を動かしながら、足元の意外なクッションに顔を綻ばせた。
 「水に流された土や落ち葉が、全てここに集まっているせいでしょうね。いち早くこれらを除けて、次の嵐に備えましょう」
 「そうとなったらとっとと片付けて市場に行こうぜ! 動いた分食う飯は美味いにきまってんだ!」
 「うう……お腹空いちゃいそうだよう」
 「この匂いの中でも変わりませんね、ビッケバッケは」
 「えへへ、冗談だって。でも美味しいご飯のためならもっと頑張れるよ。そうでしょ?」
 お腹を押さえる仕草をしながら、ビッケバッケは二人に同意を求めるように笑う。それに応えるようにスコップを取り外し、ラッシュは大きく頷いたのだった。
 「そりゃそうだな。そんじゃ、始めますか!」
 「おー!」
 勢いに任せて掲げられたスコップと勢いに、ビッケバッケの拳が合わさる。薄暗い水路には不釣合いな光景に、トゥルースはくすりと笑みを零した。

 作業自体はとても地味に、そして順調に進んでいた。水路に溜まったものを掬いつつ、ひたすら元来た場所に向かって進むだけなのだから当たり前とも言える。しかし徐々に重くなっていく泥は確実に彼らの体力を奪っていく。時と共に他愛無い会話すら風の音に書き換えられていた。
 「…………まだ、終わんねーのか、よっと」
 「あそこまでだよね、後ちょっとだよ」
 ラッシュの言葉を受けて、ビッケバッケは立ち止まると頭上を指差した。光の差し込まない水路の底は気分にまで影を落とすのに十分だった。だが唯一、進む先にぽっかり空いたマンホールの穴が彼らのゴールであり希望なのだ。
 「作業はまだまだありますよ。これを上まで運び出すまで終われませんよ」
 「えーっ、そこの隙間から出してもきっとバレないよ」
 「おっ、いい考えだなビッケバッケ!」
 「ダメですよ。何のためにこの水路があると思ってるんですか。何よりこの土が、巡り巡って私たちの栄養になるのですから、美味しいご飯の前払いだと考えて――」
 ビッケバッケの指先は、マンホールから天井をなぞるように下りて通路にある鉄柵を指していた。名案だとばかりに話に乗ってきたラッシュも一緒に止めないと、目的達成以上に近隣住民に迷惑をかけることになる。
 だが疲労とともに楽をしたいという自らの思考に活を入れるべく、トゥルースは語調を少し強くする。が、その口の動きがぽかんと開かれたまま止まる。
 小さく、それでいて生命力が強く、昔はよく比較対象にされながらも互いを嫌悪するそれが、ちょろちょろと列をなして通路の縁を走る姿が三人の目にはっきり映ったのだった。
 「あれ、ネズミだよね」
 「ネズミです! 二人とも、行きますよ!」
 「行くって、……ああ」
 一人号令をかけたトゥルースの動きは早かった。スコップを握りしめ、少し先のハシゴへ向かって走り出す。だが彼の前にはこれまで彼らが積み上げてきた泥が土手のように続いていた。が、躊躇することなくそれに足を突っ込んでは引き上げ進んでいく様子は猛進と表現するのが適当なのだろう。

 怒るように手足を引き上げながら、一歩一歩確実にトゥルースは進んでいく。ハシゴまでは後数メートル、そこまでたどり着いてしまえば後は追いかけっこが始まるだろう。
 諦めるようにため息をついて、ラッシュはスコップの取っ手を握りなおした。それが地面をつつく音に、ビッケバッケもまた思い出したように泥をほじり始める。
 「本当に変わんねーな、トゥルースのやつ」
 「仕方ないよ、病気になったら生きていけない、って一番わかってるのはトゥルースだもん」
 ラッシュは苦笑を浮かべていたが、それに答えるビッケバッケの顔に笑みはなかった。それだけ恩もあるのだが、ネズミに対するトゥルースの執着には笑い話で済ませられないものがあったからだ。
 「……待ちなさい! 今なら一思いに楽にしてあげます!」
 「……やっぱりえげつねえや」
 「これでまた、ネズミ捕りを持ち歩くようにならなきゃいいんだけどなあ」
 遠くから響くトゥルースの声に、二人はかつて神経質で刺々しかった彼の姿を思い出していたのだった。

荒れ狂う水の流れに
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9月10日はナイトの日(後期)。どちらも水周り関係にしようと思った結果こうなりました。
元々9月10日が下水道の日だそうなので、併せて何か書きたかったんです。下水道というか大きな雨水処理施設になってしまいましたが。
トゥルースとネズミへの反応は、元は彼の育ちが持つ知識と嫌悪感からの思いつきです。前期のほのぼのとの落差があって面白いかな~とは思います(自分で言うのか)
できたらまた来年もやりたいですね……!
20190910付



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