リンゴーン、リンゴーン
遠く高く響く鐘の音。この時間には聞き覚えのない音に、フレデリカは思わず手を止め耳を済ませた。
リンゴーン、リンゴーン
一定の間隔を保って鳴り続ける鐘の音に、向かって座り本を読んでいたビュウはゆっくり顔をあげ微笑んだ。
「ああ、フレデリカは聴くのは初めてか。これは、今年一年の終わりをつける鐘の音だよ」
「もう一年経ったんですね」
「そういうこと。あけましておめでとう、フレデリカ」
慣例的な年始の挨拶に、なぜかフレデリカの頬はさっと朱に染まった。
「あっ、あけましておめでとう、ございます」
「……どうした?」
ビュウに当然の疑問を口にされて、初めて自身の変化に気づいたかのようにフレデリカは両手を頬に添える。気づいたら気づいたで、ますます白い肌が色づくのを手助けするだけだったが。
「あっ、その、」
しどろもどろになったフレデリカは、ひとつ呼吸を整えるとそれでも赤い頬のまま小さく笑う。
「ビュウさんとこの生活を始めて、もう一年になるんですね」
「ああ」
頷いて、ビュウは椅子から立ち上がった。
目的は二つあったが、とにかくこんなに純粋な心を持った彼女を今すぐ抱きしめたくなったのだ。
「ビュウさ……?!」
どうしたんですか、とフレデリカの口がつむぐより早く、ビュウは机を回るとすかさず彼女を抱きしめる。ちょうど胸の高さに頭があるせいで、思いが筒抜けであることすら今の彼には好都合だった。
リンゴーン、リンゴーン
動かない二人の時を彩るように鐘は鳴る。
満足して体を離したビュウの目の前で、フレデリカの顔は熟れたりんごのように真っ赤だった。小さな口をぱくぱくさせる様子は魚のようにも見える。
「あの、ビュウさん」
「……この鐘が何回鳴るか知ってるか?」
「え、……えっ?」
突然の質問に今度はまつげをしばたかせて、フレデリカは答える。そのうろたえる様子に、ビュウはにこりと笑って彼女の元を離れたのだった。
「すまない、実は俺も知らないんだ。日付が変わって三時間鳴り続けるのは知ってるんだけどな」
「――もうっ、私の反応で遊ぶのはやめてください」
「悪い悪い、可愛かったからつい」
言葉の変わりに耳まで赤くして答えるフレデリカの元に踵を返しかけたが、なんとか踏みとどまったビュウは玄関まで足を伸ばすとコート掛けに手を伸ばす。
二人分のコートとマフラー、それにフレデリカの手袋。
一年を通して比較的暖かなキャンベルに住んでいる彼女にとって、カーナの寒さは少々堪えるようだった。それを知っての行動だったが、そのお陰で季節の移り変わりを楽しめることをビュウは心の底から感謝していた。
「ほら、行くよ」
「……この時間に、外へ?」
「教会に行くんだ。礼拝もしているけれど、無理に参加しなくてもいい。とにかく『今年も一年健康でいられますように』ってバハムートに祈るんだよ」
ビュウから一式を受け取って、フレデリカはくすりと微笑んだ。
「バハムートはとうに顕現しているのに、みんなは変わらず偶像に祈るんですね」
「そりゃそうさ。カーナの人々にとって、バハムートの持つ神性が変わるわけじゃないからな」
自身は肉体を得たバハムートと対峙するようになって、持っていた考え方を激変させられたんだけどな、と思ったことを苦笑いとして顔に出しつつ、ビュウはコートを羽織ったのだった。
リンゴーン、リンゴーン
厚手のコートを通しても感じる冷気に首筋をひやりとさせながら、カーナの人々は一箇所に集う。その流れに乗って、ビュウたちも城下町の中で一番大きな教会へとたどり着いたのだった。
近づくほど大きく響く鐘の音は、やがて自分の体を揺さぶらんばかりの音になる。
「震えるくらいよく響くだろ? この音に身を晒して、体の中の悪いものを落とすって意味もあるらしいね」
「らしい……? ビュウさん、カーナに住んで長いんですよね?」
「すまん、正直話半分程度にしか聞いてなくてな」
寒さで血色の悪くなった唇を小さく震わせてビュウは笑う。立場にも宗教にも縛られない彼の生き方に、フレデリカは何度も驚かされていた。それはきっとこれからも変わらないだろう。
それでもこうして寒空の下、付き合ってくれる優しさが心に染みる。家に戻ったら温かいミルクティーでも淹れようか。
そんな思いを抱えて笑顔を返すフレデリカの手を取り、ビュウは両手を合わせるポーズをとった。周囲に軽く目をやれば、彼らも両手を合わせていた。目の前には開かれた教会の扉と、中を満たす穏やかな光に彩られた荘厳なバハムートの像が鎮座しているのがこの距離からでも分かる。
「少し言ったけど、必ず健康を祈らなきゃいけないわけじゃないからな」
ビュウの囁き声が耳を打つ。気づけば神像に気をとられていたらしいが、彼も同じような経験をしたのかもしれない。
「ビュウさんは何を祈るんですか?」
定められたような質問に、ビュウは僅かに目を見開いて、自らの唇に人差し指を当てたのだった。
「……知ってるか、それを口にすると叶わなくなるんだぞ?」
「そんな、バハムートも意外と意地悪なのね」
このやりとりをバハムートに聞かれたら、人並みに怒るかもしれないと思えてフレデリカの口から微かな笑い声がこぼれる。
だが周囲の厳かな祈りに飲まれるように笑顔もすぐに消え、二人も揃ってそれぞれの祈りを捧げたのだった。
リンゴーン、リンゴーン
相変わらず鐘は鳴っていたが、大通りは教会へ向かう人と家へ帰る人でごった返し始めていた。
「早く家を出てよかったですね」
「だろう? どんどん人が増えるからな。早く帰って温まろう」
そうですねと言葉を返しながら、フレデリカはゆっくり進む人の列の中で躓かないように、普段から小さな足幅をそろそろと運ぶのだった。
そんな周囲に注意を払う彼女の耳に、甲高い子供の声が入った。ちらりと見れば親子らしく、子供は興奮しているのか落ち着きなく飛び跳ねている。なだめる母親の声かけも届かないのか、子供は目を輝かせて白い息を吐き出した。
「バハムート様に祈ったから、ぼくも騎士団に入れるよね?!」
「そうか、リベルは騎士になりたいんだな?」
あごひげを生やした父親の声に、就学したてだろう年齢の子供は大きく首を縦に振ったのだった。
「うん!ぼく、戦竜隊に入るんだ! だってドラゴンがかっこいいんだもん!」
戦争が終わってからというもの、戦竜隊への入隊志望者は戦前以上なのだと聞いた。元々カーナ騎士団の花形とはいえ、希望に胸を膨らませた子供たちがどんな理由でも国を守る意思を持ってくれることはとても微笑ましいことだった。
「じゃあ、学校の勉強を頑張らないとね」
「えー、勉強きらーい! むずかしいんだもん!」
赤い頬を膨らませる子供を笑顔で見守る両親。そんな三人は、すぐに人の波の中に紛れて見えなくなってしまった。だが心の中に温かいものを感じ取ったフレデリカは、それをビュウに教えようと彼を見上げ、そこではたと気づいたのだ。
――ビュウは私に嘘をついていたのでは?
「ビュウさん」
「なんだ? ほら、もうすぐだぞ」
怒っている、と伝えたくて声のトーンを落としても、二人の安息の地が近いと分かると自然と頬が緩んでしまう。
そんな気の緩みと少し戦った後で、フレデリカは繋いでいた手に少しだけ力を入れた。
「祈りを口にすると叶わない、なんて言ったのは、自分のことを聞かれたくないからですよね?」
「まあ、そんなところだ」
あっさりと嘘を認めたビュウは、寒風ですっかり赤くなった頬を緩ませて笑った。
「俺にだって、人並みに恥ずかしいと思うことはあるんだからな」
「ビュウさん、私は」
今年もあなたの隣で、明るく楽しく過ごせますように。
そう思うのはビュウも同じだろう。同棲を始めて一年。すれ違うこともあったけれど、健康を取り戻したこの体で自分の夢を叶えたい。それを手伝ってくれると言ってくれた彼と、長く同じ道を歩きたい。
そのためには、今までのように彼に手を引かれてばかりいてはだめなんだ。
「……フレデリカ?」
左手の手袋を外すと、容赦なく夜の風がフレデリカの白く細い指に襲い掛かった。冷たさに一瞬手先が丸めるが、それをすぐビュウの手に絡めて見下ろすビュウに微笑んだのだった。
「今年は、もう少しあなたの手を引いて歩けるようになりたいんです」
不意にどん、と胸を響かせる音に、二人は思わず振り向いた。
そこには冬の夜空を彩る大輪の花火が咲いていたのだ。ビュウも驚いてところを見るに、今年からの試みなのだろう。
二人の新たな門出を祝うように次々と打ち上げられる花火に、二人のかじかんでいたはずの手はじわりと汗をかき始めていたのだった。
2018年始の書初め、のつもりのビュウフレでした。今年もどうぞよろしくお願いします。
というかビュウフレで新婚ネタ書きすぎじゃない? パターン持たせすぎじゃない?
鉄は熱いうちに打てといいますか、やっぱり書くなら新婚ほやほやだよね!ということでここはひとつ。
20180108