「ねーえ! これとかいいんじゃない?!」
耳を突き抜けるほど明るい声。みんなの注目を一気に集めたのは、ウィザードのアナスタシアだった。
「え、ええ……?」
同時に動揺の声が広がる。エカテリーナが頭の上まで持ち上げたそれは、服というにはあまりにも面積の怪しいものだった。
中でも、それを真正面に見せられた彼女――エカテリーナは、尖った耳の先まで赤くなりながら声を震わせる。
「こ、こんなの私が着れるわけないじゃない――!」
悲痛な叫びにも似た声が、部屋に空しく響いたのだった。
事は数時間前に遡る。
帝国から故郷を奪還する夢を抱いて、今日も空を飛ぶ戦艦ファーレンハイト。
だが毎日戦っているかといえばそうでもなく、平時の時間が多いといっても問題ないだろう。そんな中彼らは訓練をし、食事の支度をし、他愛無い話に花を咲かせて暮らしている。もちろん大人数が乗っているのだ、必要な食料も毎日の洗濯も相当数必要になる。
やがて消耗し、くたびれていく衣服。その交換の時期に声を掛けて、女子たちは商人からカタログを入手、きゃあきゃあ言いながらあれもこれもと注文したのだった。
しかし、ウインドーショッピングが楽しかったのはその瞬間だけだろう。
実際に届いた箱の中身を取り出しつつ、彼女たちは首をかしげたのだった。
「……返品は一度だけならできる。だからできる限り汚さないように」
部屋を訪れたビュウの苦笑の意味が、今なら彼女たちにもよく分かる。
「ほらほら、とにかく服を仕分けるから。いるか要らないかはそれから判断。いいね?」
「はーい!」
すっくと立ち上がり、リストを持ってゾラが声をかける。たとえ間違った買い物でも、ひどく娯楽の少ない暮らしをしてきた彼女たちにとって、この瞬間はたまらなく楽しいものなのだ。
「ねえ、ちょっと取替えっこしてみない?」
「衣装交換かー、楽しそうだけど入るかな?」
新しく届いたワンピースを、ジャンヌの前で広げてみせるディアナ。明らかに丈が足らないと思いつつ苦笑を浮かべるジャンヌ。それぞれが、新しい衣服に袖を通したり、見せ合ったり、その場の勢いで頼んだものに首を傾げつつ和気藹々と過ごしていた。
そしてあらかた衣服の整理が終わって和やかな空気が流れていた、そのとき。返品するはずの衣服の山からアナスタシアが見つけたそれが、小さな騒動を引き起こしたのだった。
「そもそもこれ、誰が頼んだの~?」
「……………………」
明るい調子で続けるアナスタシアの言葉に対して、意外と場の空気は静まり返っていた。顔を見合わせあって、苦笑を浮かべる。ノリと勢いというものは怖いもので、その場の気持ちが大きければ大きいだけ、冷静になったときの後悔も大きくなる。
「犯人探しはやめようよ。だって恥ずかしくていいだせないもの、私がバニースーツを買いました、なんて……」
「案外エカテリーナなんじゃないの? 頼んだの」
「ち、ちがうわよ……!」
相変わらず顔を赤く染めているエカテリーナ。彼女がここまで恥ずかしがるには十分な理由があった。
「そんな、不良ばっかり集まるような酒場でしか見ないようなもの……。破廉恥よ」
「……見たことあるんだ?」
「ないに決まってるでしょ!」
恥ずかしさか怒りか、エカテリーナは小さく震え始める。このまま放っておけば、この場の空気だけでなく二人の仲まで冷え込んでしまうだろう。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
「ルキアさん」
張り詰めた空気にすっと入り込んだのは、涼しげなルキアの一言だった。重なる二人の言葉に小さくウインクを返すと、ルキアはゆっくり口を開いた。
「確かにそういう場所で働く女の子が着てる、っていうのは本当よ。でもそれを着られるのは、若くて、スタイルのいい子だけなの。見た目は気になるかもしれないけど、男ってそういう格好が好きなのよ。もし気になる人がいるなら、着てみてもいいんじゃないかしら。きっとあなたに夢中になってくれるわ」
「気になる人……」
「それなら決まりじゃない、ねっ?」
「もう、アナスタシアったら」
呟いて、脳裏に浮かぶはただ一人。それをアナスタシアもわかっているのだろう、小さく肘でこつくと満面の笑みを浮かべた。
「それなら決まりね。せっかくだから着つけ、手伝ってもいい?」
「あ、はい。お願いします……」
アナスタシアからバニースーツを受け取り、エカテリーナはルキアに向かって小さく頭を下げる。離れていくエカテリーナに向かって、アナスタシアは小さく指を立てたのだった。
「……あの、ルキアさん」
「なあに? あっ、ちょっとじっとしててね」
振り向きかけたエカテリーナの肩をルキアが掴む。そしてその手を頭に添えると、ずり落ちかけたウサギ耳を丁寧にピン留めした。ぱち、という心地よい音が簡単にカーテンで周囲を覆っただけの更衣室に響く。
「後はしっぽを付けて……うん。やっぱり似合うじゃない」
「似合い、ますかね…………?」
掘り起こされたはずのバニースーツは、恐ろしいくらいエカテリーナの体にぴったりだった。足の細さに網タイツが合わず、仕方なくストッキングを着用した程度の差異だ。女の子の魅力をぎゅっと詰め込んだ、可愛さと危うさが同居した姿。姿見に映る、つかの間現れた美少女の存在に、ルキアは思わずため息をついたのだった。
「どうしたんですか?」
「あのね、ここだけの話にしておいて欲しいんだけど……」
そう呟くと、ルキアは赤くなった顔を鏡に映しながらはにかんだ。
「そのバニースーツ、実は私が頼んだの」
「ほらほらどこ見てるんだい、美女集団のご登場だよ!」
「ちょっと、ゾラさん」
ゾラの影に隠れるようについて移動してきたエカテリーナは、男の興味を引くに違いない言葉を前に思わず彼女の服の袖をつまんだ。だがそんなエカテリーナの肩を引き止めるように左右から軽く叩かれては、伸ばした腕を下ろさざるを得なかった。
「エカテリーナっ! いいなー、どこから見ても可愛いんだもの」
「そう、かな……? ありがとう、アナスタシア」
「だからもっと自信を持てばいいのに。ルキアさんもそう思いますよね?」
エカテリーナの左を歩いていたアナスタシアが、肩越しに言葉をパスした相手はルキアだった。
「もちろん。こんなにかわいい子が目の前に現れたら、意中の人もきっと振り向いてくれるわ」
微笑みとともに、ウインクひとつ。意中の人、という言葉に反応して、エカテリーナは思わず両手を頬に当てた。ここまで来ても恥ずかしがる初々しさに、ルキアは小さく頷くと気持ちを後押しするように顔を彼女の耳にそっと寄せたのだった。
「後はあなたの気持ち一つよ。頑張ってね」
「……はい!」
思う気持ちがエカテリーナを熱くさせたのか、頬を赤く染めながらもルキアの言葉に大きくうなづき返す。
そんな秘密の会話が繰り広げられているとは周囲が知るはずもなく、ゾラの声はブリッジにいる男たちの目を引いていた。彼女に続く華やかな集団に次々と注目が集まる中、誘蛾灯に誘われた蛾のようにひとりの男が近寄ってくる。
「やあやあ可愛いお嬢さんたち。新しい衣装に身を包んで、今日はどこまでお出かけかな?」
「……ドンファンったら」
いつもの調子をたしなめようと、ルキアが一歩ドンファンに近づいた。その瞬間、彼の手はごくごく自然にルキアの手を取っていたのだった。
「やあルキア。今日は一段と綺麗だよ。特にその足と服の間でなびくレースが、まるで羽ばたく鳥のようだ。それで、その疲れた羽をこの腕の中で休めようってわけだ?」
「……ホント、想像力だけは豊かなんだから」
わざとらしくため息をつくと、ルキアは手を払ってドンファンに背を向けた。瞬間翻る裾が初めからそうであったように、白いレースをふわりとなびかせる。以前はなかったものを、ドンファンはその場で見抜いたのだ。これが戦場で活躍すればいいのにと内心息を吐きつつ、ルキアは敢えて突き放すような冷たい声をあげたのだった。
「変わったのは私だけじゃないのよ? ずっと私を相手にしていてもいいのかしら」
「おお、確かに!」
ルキアの言葉に、ドンファンは大げさなくらい声をあげた。芝居にしては下手くそだと思えるが、彼からすれば女の子相手なら大真面目な反応らしい。次々目移りしながらも、ドンファンは彼女たちの変化を一目で見抜いたのだった。
「んん、ディアナは腰のリボン、フレデリカはドレスの色、ネルボとジョイはお揃いの袖飾りなのかな? すまないルキア、こんな美しい花が傍に咲きほこっているとは全く知らず。少し寄り道はするけれど、僕の翅を受け止めるまでどうか咲いていておくれ」
「――ふう」
一方的なドンファンの恋の歌を、聞き飽きたと言いたげにルキアは肩を落とし息をつく。そんな彼女の手を、ためらいがちに引く存在がひとつ。
「ルキアさん、その」
「大丈夫よ、いつものことだもの」
エカテリーナだった。ドンファンの戯言を真面目に受け止めて恥ずかしくなったのか、顔を赤くして覗き込むように見上げている。
「そうじゃなくて、もしかして」
――このバニースーツ姿を見せたかったのは、ドンファンなのでは?
「おお? こんなところにバニーガールが!」
「えっ? ……あっ!」
疑問をぶつけるより早く訪れたドンファンの上ずった声に、エカテリーナは思わずそちらを見る。そして視線が合う一瞬で、彼は手をさっと伸ばすとエカテリーナだけを表に引き出してみせたのだった。
「さあさあおいでウサギさん。君がスポットライトを浴びるべき場所はこのドーンファンの傍らに違いない!」
「ちょっと、あの……離してくれませんか……?」
「おっと失礼。確か君は――エカテリーナ、だね?」
「そ、そうですけど……」
エカテリーナの手を取ったドンファンは、すいすいとブリッジの中心までやってくるとそこらに響くような声でそう宣言した。これもまた周囲を楽しませる余興なのかもしれないが、とにかく男たちの目を集めることに成功したドンファンは、紳士のように振る舞ってエカテリーナの手を放すと一礼したのだった。
「戦場ですさんだ男の心を癒す場所、それは酒場! そんな場所にぴったりの少女の名、それはエカテリーナ。武勇伝も失敗話もその笑顔で包み込み、甘いワインの香りとともにそのひと時を男の胸に刻んでおくれ! ――で、ようはアレアレ、今晩お相手してくれないかな?」
「えっ、ちょっと、それは……」
しかしそれだけで引き下がるドンファンではなかった。台本を読み上げるかのようにすらすらとセリフを歌い上げつつ、すかさずエカテリーナに耳打ちをすることを忘れない。
エカテリーナは生きてきてこのかた、情熱的な男というものに合ったことがなかった。ここまで心が熱くなるような言葉を、ルキアは飽きるほど聞かされているのかと思うと彼女の恋は難しそうだと同情の視線を送ったのだった。
だが、そんな気分はすぐに吹き飛んだ。尖った耳が命を持ったようにぴくりと動く。
「その約束、俺に譲っちゃくれないかな」
「なにっ!」
突然現れたライバルの登場に、ドンファンは慌てふためく。だがそんな彼の大仰な動きも声も、エカテリーナの意識から早くも締め出されていた。
二人の顔は、同じ方向を向いていた。普段なら背中しか見えない操舵手が、今は石床を鳴らしながら確実にこちらへ近づいてきている。その表情は逆光で見えないが、ブリッジに響くような声から察するにこの勝負に相当の自信があるように思えた。
「ど、どこから聞きつけた操舵手! エカテリーナとこのドンファンとの逢瀬は秘密だったはずなのに!」
「なんだ、あれで秘密のつもりだったのか。甘いな、戦士たるものいつ何時でも五感を澄ませて有事に備えるものだろう?」
うろたえるドンファンを前に、ホーネットは余裕綽々と答える。だが一瞬立ち止まると、同意を求めるように右を向いた。その先にいたのは、おそらく舎弟であるナイトたちの質問に答えるためにやってきたであろうビュウだった。ナイトたちの視線はエカテリーナに釘づけだったが、ビュウだけはホーネットの視線に気づいていたらしく、呆れるようにただ首をすくめて横に振るのだった。
そんなやり取りの中でも、エカテリーナの感覚はすべてホーネットに向けられていた。余裕ある大人の表情、優しくそれでいて耳に残る低い声。歩くたびに緩やかに揺れる長髪をこうして目で追っていると、なんだか催眠術にでもかかったように思える。
――こつ。
「エカテリーナ。今夜、どうかな?」
「――――っ!!!!」
すっかり恋の術中にはまっていたエカテリーナは驚き飛び上がった。気づけば目の前にホーネットは立っていて、エカテリーナの手を取り微笑んでいたのだから。
背伸びしても口づけにはまだ距離がありそうな長身。爽やかな青い空の目に反して、その顔はどこか自分たちと同じような戦争の影が射しているかに見える。
だが今のエカテリーナには、その側面を眺められる余裕はなかった。取られた指の先から伝わる熱はあっという間に耳の先まで伝わり、逃げるように足元はふらつき、それでも瞳だけは吸い付くように見上げたまま二、三歩その場で留まった。
「……ご、ごめんなさい!!」
「ちょっとエカテリーナ!」
しかしはらり、と手が離れたことがエカテリーナの行動を決定づけた。魔法の溶けたシンデレラのように、彼女はホーネットの視線を振り払うように背中を向けると危なっかしくも走り去っていく。その後を焦った様子でアナスタシアが追う。二人の行く末を固唾を飲んで見守っていた彼女にとって、まさかエカテリーナが自分からチャンスを逃すとは思っていなかったのだ。
「ほらほら、あんたたち! 解散だよ解散!!」
ブリッジにかかった魔法を解くように、ゾラは何度か手を叩く。目の前で起こったイベントが尻切れトンボで終わってしまったことを惜しむように、仲間たちはそれぞれ感想をこぼしつつブリッジを離れていくのだった。
「…………はあ」
「残念だったな。俺も振られたみたいだし、この勝負はお預けってところだろ」
人があらかた去ったブリッジの中心で、がっくり肩を落とすドンファンを労いつつホーネットは苦笑していた。これで落ちなかった女は何人目だろうか、と頭でぼんやり記憶を手繰っていると、肩に置いたはずの手を取られてとっさに手を引き抜く。後に残ったのはドンファンのぽかんとした表情。その顔を見下ろし、ホーネットは誤魔化すように笑うのだった。
「すまない。つい癖でな」
「驚かさないでくれよ。ともかくお預けってことは、可能性はまだあるわけだ」
「だろうな。あんなにかわいい子が乗ってるなんて俺は知らなかったぞ」
バニーガールが逃げていった方向に顔を向けて、ホーネットは小さくため息をついた。もっと早く知っていれば、寂しさも多少は紛らわせたに違いない。
だがホーネットよりも長いこと一緒にいたはずのドンファンも、明るくひょうきんな彼らしくない重いため息をついたのだった。
「本当にうかつだった……。衣装ひとつでそこまで変わるものか。それともこのドンファンの目が曇っていたのだろうか……」
「女も男も、着るものひとつで変わるものさ。ドンファン、だったか? 恋愛遍歴を語るには、まだ経験不足みたいだな」
「――参考にさせてもらうよ」
苦笑いとともに、ため息ひとつ。ドンファンはホーネットに小さく会釈をすると、萎びた草のようにとぼとぼとその場を後にしたのだった。
「エカテリーナ、か。聞いたことがある名前だとは思うが……。 指名で酒の相手をしてくれるほど、世の中甘くはないんだろうな」
それでもすっぱり諦める必要はないだろうと結論づけて、ホーネットはクルーに任せきりの操舵輪へ戻るべく元来た道を引き返す。
そんな彼の視界の端で、ブロンドのポニーテールが青いリボンの残像を残して廊下に消えていく。そんな気がして、誰もいないドアの外を黙って見つめていたのだった。
長い!!!!(強調)
最近ドンファンの出番が多いのはまあそういうことです(?)
8月2日はパンツの日でバニーの日でハニーの日らしい、で書いたのですが何を勘違いしていたのかエカテリーナはレオタードだからちょうどいいな→(攻略本見る)→全然違うじゃないか(記憶力に絶望)
でもここまでたどり着いたのはすごいぞ。つまりはバニー姿のエカテリーナください。
ホーネットに対しては運命的に上手くいかないエカテリーナですが、どこかで彼女にも幸せになってほしいと思います。性格的に難しそうですけどね……。
20180802付 20180819書き上げ(遅い)