「ねえ!」
「どうしたんだ、そんな尖った声出して」
「そんなつもりじゃ、なかったんだけど」
不意に静まる声と空気に、バルクレイは皿を拭くのを止めて振り向いた。
冬支度を始めた室内の片隅には、この間一緒に買ってきた薪の束。中央を彩る温かい赤のカーペットは、ほぼアナスタシアの好みで決めたものだが彼にとっても不満はなかった。
部屋に微かに残るホワイトソースの香りにすんと鼻を鳴らすと、バルクレイは相手の警戒を解くように笑いかけた。
「もう空けるのか? 確かに今日の予定はないけど」
「それもいいけど。これを買ったこと、忘れてない?」
目をしばたかせながら、バルクレイの指先は空中でワインの栓を抜く。それに小さく頭を横に振り返すと、アナスタシアは何かの箱を見せつけてきた。
「片づけはどうしたんだ?」
「ちゃんと済ませたわよ! それよりこれ、ほら!」
「うーん……?」
アナスタシアはしきりに箱の表面を見せ付けてくる。老眼には早すぎるバルクレイの目に、そこに書かれている文字も絵もはっきり見えていた。けれどそこまでする理由が分からず、彼は観念するように布巾を置いてダイニングへと向かった。
「やっと来たわね!」
「……で、チョコプリッツがなんだって?」
「んーもう!」
目を輝かせたのも一瞬、アナスタシアは不機嫌を隠すことなく態度で示した。むっと口を結び、チョコプリッツの箱は手に持ったまま両手を腰に当てる。本来母親のような厳しさを見せるはずのそれは、足らない身長も相まって表現以上の可愛らしさを演出していた。
「そんなに好きだったっけ? 確かに湿気ると美味しくないもんな、分かるよ」
このチョコプリッツは、確か袋詰めされていたはずだ。けれど一袋に纏められているせいで、食後の彼女の胃袋には多すぎるのだろう。そう結果を出して、バルクレイは同意の意味で頷くと右手をアナスタシアの頭に添えて優しく撫でた。
「でも一緒に食べて、って言わない辺りがアナスタシアだよな、うん」
「ん~~~~」
撫でられて大人しくしているアナスタシアではなかった。口を結び小さな唸り声を上げながら上目遣いで訴えてくる。表情の緩みを感じながら愛でていたバルクレイに対する抵抗なのか、突然彼女は両手で腕を掴むと無理やり頭から下ろした。
「知らないの?! ポッキーゲームよ!」
「ああ、ああ――うん、なるほど」
「……絶対分かってないでしょ」
「悪い悪い」
頷いてはみせたものの、ひと睨みとともにそう返されたらバルクレイには謝るしか選択肢はない。しかしそれ以上追及する意味はないとばかりに、アナスタシアはチョコプリッツの箱のあけ口に手をかけると一気に開封した。そして中に入っているフイルム状の袋を取り出すと、それを無遠慮にバルクレイの手に押し付けたのだった。
「僕が開けるの? まあ……」
疑問とともに視線を投げかけるが、我の強い意思の光にあっさり撥ね退けられる。まあその程度は、とバルクレイは望まれるまま袋を端から縦方向に開けると底を片手で支えた。きっとその間に皿の一つでも持ってくるだろう。そう思っていたが、アナスタシアはじっとそれを見ているだけだ。
どういうつもりだ、と口にするより早く、彼女は開いた袋からチョコプリッツを一本取り出すと小さくつばを飲む。
「……ほらっ! 始めるわよ!」
言い終わるが早く、アナスタシアは持ち手部分のプリッツを口にくわえると顔をあげた。どうやらこれがポッキーゲームの始まりらしい。
「なるほど」
「んーんー!」
早くしろ、と言いたげにアナスタシアは口を突き出す。その姿が餌を求めるひな鳥のように見えて、バルクレイは思わず目を細める。
しかしこれ以上余計なことを言う必要もないだろう。差し出されたプリッツに改めて向き合うと、バルクレイはそろそろと開けた口を近づけた。
――ポキン!
「ほら、アナスタシアも食べなよ」
「ちょ、ちょっと!」
焦りを隠そうともせず、アナスタシアはプリッツをくわえたまま抗議の声をあげた。
バルクレイは確かにプリッツを口にした。ただ、アナスタシアが想像していたそれとは違い、プリッツは中ほどで折れていた。
口の中のプリッツも、長いこと唾液を吸って強度が心もとない。仕方なくぽりぽりと音を立ててそれを食べていると、先に食べ終えたのかバルクレイは袋から新しいプリッツを取り出していた。
「ほら」
「……自分でやったらどうなのよ」
本日一番の不機嫌を顔に出して、アナスタシアは眉根を寄せた。ここで口まで堅く閉ざされてはたまったものではない。持ち手の部分を彼女に向けると、バルクレイは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ごめん、調子に乗りすぎた。 ……もう一回、頼めるか?」
「…………もう」
どうしようにもない人ね、と言いたげに頬を軽く膨らませて、アナスタシアは渋々プリッツを一本つまんだ。上目遣いにプリッツを咥えなおすその姿がいじらしいが、それ以上に恥ずかしいであろう彼女のことを思うと口に出せずにいた。
「ほらっ」
口をもごもごさせながら、アナスタシアの顔は上を向いた。突き出されたチョコプリッツ。茶化したぶんの時間が、バルクレイに羞恥心となって逆襲してくる。
いや、これに関しては自業自得だ。胸の内で一笑すると、バルクレイはおもむろにプリッツの先に歯を当てた。
ボリ、とプリッツを砕いた音が骨に響く。アナスタシアの目が驚きに見開かれるのを敢えて無視して、さらにもうひと口かじる。
ポリ、ポリポリ。
本当は少しずつ距離を詰めていく過程を楽しむものなのだろう。彼女もそれを期待しているのだろうか?しかし、ただでさえ身長差のある二人の距離は、プリッツひとつでずいぶん近づいたように思える。
平然を装うアナスタシアの顔。だがその瞳孔が猫のように見開かれ、紅潮する熱を感じられるほど照れていることを、彼女だけが知らないようだった。
ポリ。
もはや儀式は最高潮に達していた。後ひと口で、彼女の唇に届く。ここが空の上なら、やれ早くしろだやっぱりやめろだ野次が飛んでくるところだろう。
「――ん!」
早く仕上げをしろ、と言いたげにアナスタシアは唇を突きだす。勢いで唇が触れない当たりがなんともいじらしい。ここまでくれば彼女も覚悟の上なのだろう。
そもそも覚悟など必要なものかとバルクレイは内心で突っ込みを入れたが、彼自身にも羞恥心がないかといえばそうではない。
嬉しさと気恥ずかしさと。何より正面を見つめて離さない、宝石のように尊いアナスタシアの瞳を見失わないように、バルクレイは最後のひと口をかじったのだった。
「……………………」
「……………………」
「……どう、だった?」
やたら長い沈黙を破ったのはバルクレイだった。ひとつひとつ、噛みしめるように伝えた思いは、驚くほどあっさり返された。
「……思ったより普通だったわ」
「普通?」
つんけんとした物言いはアナスタシアにとって普段どおりの反応だ。けれど一緒に暮らし始めて早一年、朝夜のキスは当たり前になっていたし物言いもずいぶん丸くなったと感じていた。言いたいことは言う性分に変わりはなかったが、この状況で強い反応を見せないことにバルクレイは含みを持たせた笑顔で問いかけた。
「――こんなに、顔が熱いのに?」
むに。
追い討ちとばかりに両手でアナスタシアの頬に両手を添え、つまむ。焼きたてのパンのようにほかほかの頬は温かく、それでいてついつい伸ばしたくなる柔らかさだ。
「ちょ、ちょっと、それくらいにしなさいよね!」
「ざーんねんだな」
「……んもう!」
本人が止めに入ったなら大人しくそれに従うしかない。感情とという名の火山がいつ噴火するのかを楽しむ年齢はとうに過ぎていた。
ただ、最後に指の間でむにむにとした感触を楽しむことは忘れない。惜しむようにその手を離したかと思えば、バルクレイはそれをぐるりとアナスタシアの肩に回した。
「ちょ、っと……!」
「初めから、こうすればよかったかな? それとも、また」
「……………………」
わざとらしく言葉を切っても、アナスタシアは突っかかってこない。代わりに胸元で赤い頬を膨らませているのがなんとも愛おしかった。ずっとこうしていたいけれど、自分まで熱暴走してはたまらない。たっぷり間を置くように息を吸って、バルクレイは囁いた。
「ポッキーゲーム、やるかい?」
「……も~~~~、バカ! 離してよ!」
「わかった、わかったから」
抱き込まれた腕を抜いて逆に押さえ込みにかかりながら、アナスタシアは声を尖らせた。耳に刺さるそれに苦笑しながらバルクレイが解放すると、分かりやすいほど肩を怒らせてアナスタシアは自分の許を離れていく。
演技かもしれない。それでも温もりが離れれば離れるほど、バルクレイの心に冷たい風が吹き込んでくる。
「――アナっ」
声は喉でつっかかり、遠く彼女には届かない。狭い家のはずなのに、振り向くことのないアナスタシアの背中が永遠に遠ざかっていきそうな錯覚すら覚えた。
自然と胸元を抑えても痛みはじくじくと熱を帯び膿んでいくばかりで、結局バルクレイはそれが自分の抱えている恥部だと分かっていながら叫ばずにはいられなかった。
「――アナスタシアっ!!」
「えっ?」
爆発にアナスタシアの肩が竦む。ぴたりと止まった足元が、微かに震えたのが遠くからでも見えた。
「ええと、その……」
驚いたことに、この空気を作り出したことに何より戸惑っていたのはバルクレイ本人だった。言い訳をしようととっさに口を開いても、出てくる言葉は空回るばかり。
「なーんだ」
「……え?」
澄んだ声に、彼の意識はひとつに留まった。震えていたはずの小さな背中。それが表裏を感じさせない笑顔を浮かべてこちらを見ていたのだ。
「私が、あんたを心の底から嫌いになる、なんてありえると思う?」
「……アナスタシア、僕は」
「言い訳無用よ!」
アナスタシアが向き直ったかと思えば、右手の人差し指をバルクレイに突きつける。それ自体が魔法であるかのように、彼の言葉はごくりと喉を鳴らしたのだった。
「初めてのことがやけに恥ずかしく思うのは、仕方がないと思うの。でも!」
一度は下された指が予告なしに再び突きつけられて、指されたバルクレイはおずおずと声を出した。
「……でも?」
「やっぱりバルクレイは堅すぎるのよ! ちょっとフェインをかけただけで、そんな声出しちゃうんだもの」
「そんなぁ……」
攻めも守りもできない以上、今のバルクレイにできるのは情けない声をあげることだけだ。
しかしアナスタシアの表情から笑顔が絶えることはない。だがそれが嘲笑ではないことを示すように、彼女ははにかむと両手を後ろに回したのだった。
「こうやって一歩ずつ、ゆっくり進んでいく楽しみを教えてくれたのはバルクレイだもん、ねっ?」
「そう、かな……」
「そうよ、もっと自信持ちなさいよね!」
面と向かって言われるには未だに慣れない言葉に視線を思わず外しても、すぐ飛んでくる指摘は新たな指針となり背を正してくれる。
「……でも!」
「ああ……」
顔を上げた先で、アナスタシアは意味ありげに笑ってみせる。それが新たな課題だと理解した瞬間、バルクレイの口から嘆きにも似た声が漏れだしていた。
「私が離れたところですぐに追ってこれなかったのは、女心が理解できていない証拠ね。というわけで、ポッキーゲームをもう一回やるのと、対策会議をするのとどっちがいい?」
「……しばらくポッキーゲームはやりたくないなあ」
「もう、今日やることに意味があるのに!」
「僕がこれを嫌いになるよりはいいだろ? ほら、お茶淹れてくるからさ」
「それならほら、この間買っておいたマフィンがーー」
座ってて、と口にするより早く歩きだすアナスタシアの後をバルクレイの影が追う。
都度開かれる作戦会議という名のお茶会を前に、二人を甘く暖かい空気が包みはじめていた。
11月11日、ポッキー&プリッツの日ということでバルクレイとアナスタシアでした。
オレルスにポッキーはないだろうと思い騙し騙し書いていましたがやっぱり固有名詞の壁は高かった……!
反乱軍唯一の良心にして安心できる?カップルなので、書き手としても安心してイチャコラさせられます。
個人的にですが、バルクレイの女性経験は豊富でないように思っています。本人が軽い話をしないのも推測のひとつですが、常識人すぎて女の子に興味を持たれなさそうだなあと……。私の思考が反乱軍に毒されているのか??
20181111付