「また兵法の本を読み漁っているのか、パルパレオス。たまには他にも目を通したらどうだ」
「……分かっているなら放って置いてくれないか」
遠慮なく覗いてくる頭がページに影を落とし、集中を切らされたパルパレオスは振り向きもせずに不機嫌をあらわにした。だが相手は反応を読んでいたかのようにくつくつと笑い、それが余計に彼の機嫌を害したのだった。もちろんこうなることは織り込み済みで、わざわざ自分の座る左右に本を積み上げてよそを構う暇などないと強くアピールしているというのに。
それをいともせずに破ってくるのは、自分にも敵にも同じことだった。自らの力で道を切り開く彼の行動力には関心させられるが、それでも悩みの種に違いはない。そう思うと、パルパレオスの口からは自然と苦笑が零れたのだった。
「それで、何のようだ? 暇を言い渡されたからだと予想するが」
「さすが動きをつぶさに観察しているだけのことはあるな」
「……それを褒めていると表すには推測が単純すぎるぞ、サウザー」
本にしおりを挟むと、パルパレオスは名残惜しそうな視線を閉じゆく本に送った。だがこの惜別も時間にすれば僅かなものだろう。
――親友で悪友でもあるこの男が、変なことを思いつかなければ。
「よし、では社会勉強とでもしゃれ込もうか。もちろんお前に拒否権はないぞ」
「な――?!」
国王の右腕とまで称される男の手が、パルパレオスの肩にかけられる。その意味を理解するより早く、彼の腰は宙に浮かんでいたのだった。
「……まったく、飲みにいくならいくと言えばいいものを」
「それはそれで渋るだろう? ならば直接連れ出すのが早いと学んだまでだ」
はあ、とため息で答えを返して、パルパレオスは変わりに運ばれてきたグラスを手にとった。正直酒には強くないので素直に酒場に寄りたくはなかったのだが、連れてこられてしまった以上は仕方ない。とりあえずはこの騒がしい空間に身を寄せてみるしかないだろう。
「分かった。……この夜が良いものとなるように」
「乾杯」
この瞬間が楽しくて仕方ない、と言いたげに口の端をにいと吊り上げると、サウザーも手に取ったグラスをそっと傾けるのだった。
「それで、だ」
ごとんと空になった何杯目かのグラスを机において、おもむろにサウザーは口を開いた。互いのペースで飲んでいるはずなのだが、いつも以上にパルパレオスのグラスは泡がすっかり消えていた。
「……なんだ、飲まないのか」
「提案があるならここでなくてもいいだろう、俺がこの類のものが苦手なのは」
「ああそうだな、後で俺の部屋で飲みなおそう」
何気なくそう言い放つサウザーの言葉に、パルパレオスは返す言葉の変わりに小さくため息をついた。だがそれで満足と言いたげなサウザーの目は、騒がしい店内を険のある目つきでぐるりと見やった。
その瞬間、その場はベロスの会議場へと様変わりする。注文をとりに来るウェイターは給仕であり、周囲でざわつく客は聴衆だ。こちらを気にかける客は、今の王のご機嫌をとりにやってきた貴族なのだろう。
「今のベロスをどう思う」
「ある意味相変わらず、だな。この辺りは潤っているようだが」
店に入った地点で空いている席が殆どないことを思い出し、パルパレオスはそう口にした。だがその客層が、普段とすっかり変わっていることに気づくとため息を零したのだった。
「しかし、それも最近立て続けに起こっている『仕事』のおかげに他ならないのは理解している」
ベロスの主要な産業といえば、他のラグーンに追従を許さない自らの鍛え上げられた肉体を遺憾なく発揮できる傭兵業だといえるようになって、もはやどれくらいの年月が経っただろうか。
文献を紐解くと、昔は主要な場所の警護や要人の警護を主に担っていたそうだ。だが年月が流れ、オレルス全域に人の営みが盛んになるとついで起こるのは小競り合いである。そこを仲裁する役割から始まり、ついには国や貴族の私兵として用いられるようになったという話らしかった。
ベロスは作物を育てるにはあまりにも痩せた土地だ。だから他のラグーンが小競り合いをすればするほど金回りがよくなり、その金で豊富な食物を買い人々の胃袋を満たすことができる。
かつて平和な時代は、目を覆いたくなるような争いがベロス内でもあり、それをあろう事か国王はよしとしてきたこともあった。自然淘汰だ優位性だといいながら、貴族たちは安全なところからまるで奴隷たちが生き残るために戦う様子を眺めるかのように楽しんでいたのだから笑えない話だ。
そしてそれは今も続いている。
からんとグラスの氷が鳴って、サウザーの意識は現実に引き戻された。さぞ抜けた顔をさらしているのだろうと正面の友人に目を移す。だがパルパレオスも考えていることは同じだったらしい。眉根に皺を寄せていたのだろう、眉根に皺を残したままサウザーに驚いたような視線を向けていた。
「思うところは同じようだったな。むしろ俺の口からは説明など野暮だったな」
「どれだけ自国に心を砕いてきたかは分かっているつもりだ、サウザー」
鷹のような鋭い目がサウザーを捉えている。だが周囲に恐れられる一因のこの目も、慣れてしまえば可愛いものだと思う。彼が真摯に取り組んでいるときのこの目がサウザーは好きなのだ。
「……どうした? 飲みすぎたわけでもないだろう」
「そうだな、これからもう一杯追加するところだ」
「加減はしてくれよ」
だから余計に酒が美味くなるのだ。たまらずウェイターを呼びとめ、ビールを一杯注文してからしごく真面目な顔を作ってパルパレオスに向き直った。
「さて、ここで赤子でも答えられる謎かけをしよう。オレルスの中立国といえば」
「キャンベルと、カーナだな。正確に言えばキャンベルが中立国でありカーナは保障国に当たる。それくらいカーナの戦竜隊は強力であり全ラグーンに知れ渡るほどだ」
「……その戦竜隊を、ベロスで再現することができるとしたら?」
「無理だ」
いともあっさり、それでいて余計な感情を捨て去った顔でパルパレオスはサウザーの問いかけを否定した。これを国を豊かにする方法だと目を輝かせる官僚がいたら、あまりにも無知な夢想化だと切り捨ててしまうだろう。
「お前ならそう言ってくれると思っていた。だからこそ、その目で判断し導いて欲しいのだ」
「何をだ。まさか――」
突然無謀なことを言い出すのがこの親友の常だった。だからこそ信じたくないパルパレオスの気持ちが腰を浮かせる。
「お待たせしました」
だがそこにウェイターが滑るように割り込み、彼の気持ちに冷水をかけたのだった。まさに話の腰を折られて飛ばされた眼光に捕らわれないように、ウェイターは素早くテーブルを離れていく。
その様子を変わらず楽しそうに見ていられるのだから、サウザーは恐れを知らない男なのだ。
「それでだ、パルパレオス。今のベロスにはどれくらい野生のドラゴンがいると思う」
「――分からん。想像をしたこともない」
「興味のないものに素っ気ないな」
「ドラゴン一頭にかける時間、食料。何より調教する人間がいない。まさか自身が手がけるなどと言い出すんじゃないだろうな、サウザー」
割り込みなどなかったかのようなサウザーの口ぶりに、パルパレオスは意識を戻さずにはいられなかった。椅子に腰掛けなおすと現状を詳しく口にする。
人が資源といわれるベロスでも、ドラゴンに関する知識を有するものはゼロだった。少なくともパルパレオスが王城に出入りするようになってから、その触れ込みで士官試験を受けにきたものは記憶にない。
「そんな人間が、ベロスにいるのか……?」
「――いるとしたら?」
「ずっと可能性の話をしているならいい加減打ち切らないか。地図旅行は確かに楽しいが、現実との区別くらいはついているものだと――」
実際にパルパレオスはもうこの話を終わりにすべきだと、水滴のびっしりついたグラスの中身を全て煽ってみせた。だがその気持ちはサウザーも同じだったのだろう。パルパレオスの話の途中でごそごそとポケットから机に出された地図に、二人の視線は射止められる。
「これは?」
「開けてみろ」
幾重にも折りたたまれた地図は、ずいぶん使い込まれたもののようだった。ちょうど机上に収まる大きさのそれはベロスの全体図で、ところどころにマークとメモ書きがなされていた。
「この赤い丸がドラゴンによる被害、観測がされた場所だ。そしてここが――」
サウザーが置いた指先と共に、パルパレオスの視線も動いていく。ぴたりと止まった場所に書いてあったメモが目に飛び込んできたとたん、彼は反射的にサウザーの顔を凝視していた。
「……ドラゴンと心を通わせることのできるという男の住んでいる場所だ」
「どうしてそれを最初に言わなかったんだ」
にやり、と笑うサウザーの向かいで、パルパレオスは思わず頭を抱えていた。この人物さえいれば、耳にしていたドラゴンから受ける被害を早期に抑えられたかもしれないというのに。
「なに、この人物の話は私も昨日聞いたばかりでな。それもこの人物自身が能力を否定しているというから困ったものだろう」
「まったくだ」
頭から手を離して、パルパレオスは鼻から大きく息をはいた。話が本当であるなら一気に将軍まで登用できそうな能力を否定するなど、ベロスの民として軟弱としか言いようがない。
「ここまでくれば、後は分かるだろう?」
「日程は調整する。明日にでも出られるよう努力しよう」
そう返事をして頷くと、あわせたかのように二人は席を立つ。地図を忘れずに回収した後で会計を済ませ、まだ人出のある歓楽街を肩を並べて歩き出した。
「やはりお前がいてよかった、パルパレオス。私の思考を手に取るように理解してくれるのはお前くらいだからな」
「……何をいまさら」
パルパレオスは鼻でふ、と笑った。褒められたことに気恥ずかしさを感じているわけではない。かといって同じ事を他人に言われても特に何の感想も沸かないだろう。
「すべては国と、そこに住む民のため。お前の行動原理はいつもそれだろう、サウザー」
「言ってくれるな」
満点の答えに、サウザーは少し酒の入った赤い顔で笑った。そして調子がいいのか自然と早足になった彼は、王城まで続く石畳をどんどん歩いていく。周囲の人間はそんな彼を訝しげな目で見送り、ただの酔っ払いだとすぐに忘れてしまうだろう。
だが夜風に吹かれて揺れる長い髪を自分のペースで追うパルパレオスの心は、サウザーが隣にいることへの誇りに満ちているのだった。
リクエストで「サウザーとパルパレオスの友情もの」でした。
友情って、友情ってなんだっけ……となりながら書き上げましたううん難しい。
ちなみにここでいう「ドラゴンと心を通わせることのできる人間」というのが何を隠そうペルソナです。没設定も全力で使っていきたい。だって好きなんだもの(中二病)
どうして彼だけいつも集合したときに外れた場所にいるんだろうと色々考えていたんですが今ここでは関係ないですね……。
二人の関係って書き表すのが難しい気がします。知らない間に聖域化してるのかなあ恐ろしいものを書いてしまった気がします。
リクエストありがとうございましたー!!
20171003