Novel / 陽だまりの雛たち


 それは赤くふわふわした毛玉だった。それがどうして庭にあるのだろう?
 そんな少年の興味を、暖かな声が逸らしたのだった。


 「――君が、ビュウだね?」
 「はい、あなたは……?」
 時間が止まったように棒立ちしていた自分を待っていたかのように、低木の陰から一人の男が姿を現した。張りのある声から想像するより男は年老いているらしく、頭頂部は禿げ上がり生え際から真っ白な髪が冠のように頭に被さっている。口回りから伸ばした顎鬚も白いが背はしゃんとしており、突然の登場に戸惑いを見せるビュウに笑いかけながら歩み寄るのだった。
 「ほっほ。わしはドラゴンおやじぢゃ。君のお父さんの先輩ぢゃよ」
 「パパの?! じゃあおじいちゃん、戦竜隊の人なんだね!」
 「そうだね。飲み込みが早くていいことぢゃ」
 驚いたように目を見開くと、ドラゴンおやじと名乗った老人は顎ひげを撫でながら大きく頷いた。そしてその手をゆっくりビュウへと伸ばす。節の目立つ指だったが、肉付きよく大きなその手は不思議と幼いビュウを安心させた。
 「おじいちゃんと呼ばれたのは初めてぢゃの、ほっほ!」
 「……おじちゃん?」
 両手でぎゅっと握り返すと、ビュウの目はじっと男を見つめた。ドラゴンおやじなどという、おおよそ人の名前とは遠い不思議な名乗りに興味を持ったのだろう。深い緑の色をした双の瞳が、光を受けて一層きらきらと輝いていた。
 「どちらでもいいよ。わしもビュウ君のような小さな子とお話するのは久しぶりだからね。お城の庭のことなら、なんでも聞いておくれ」
 「うん! じゃあねえ」
 ドラゴンおやじの笑顔に釣られるように満面の笑みで頷き返すと、ビュウはきょろきょろと辺りを見回し――その目はある一点で釘付けになった。それはここに踏み入ったときに見つけた、不思議な赤い毛玉だ。青々とした芝生の植えられたカーナ城の庭は庭というにはあまりに広大で、ビュウの目にはその端は捉えることができなかった。
 所々に庭木が植えられてはいるものの、見通しのよく太陽の光と小鳥の声が降り注ぐ心地の良い空間。その真ん中を陣取るように、岩と見間違えそうなほど大きな赤いものが植わっていたのだった。
 「――あれ、は……?」
 ドラゴンおやじの片手を握ったまま、ビュウは腰越しにひょっこりと顔を出した。未知の出会いは、少年にとって好奇心より恐怖のほうが勝っているようだった。
 「うん、どうした?」
 「赤くて大きな、あれはなあに?」
 小さな指が突き出された先の答えを探すように、ドラゴンおやじは小さく首を傾げるとゆっくり振り返った。変わらず日当たりのいい場所を選んで眠る、愛しい存在を前にするとどうしても表情が緩む。しかし今は不安に満ちた小さな目が、助けを求めるようにドラゴンおやじを見上げていた。
 「じゃあ、近づいて触ってみようか」
 「えっ?」
 「大丈夫、おじさんがついてるよ」
 言葉を補おうとビュウの手を握りなおすと、不安に揺れる目は穏やかさを取り戻した。ただ先立って一歩歩いてみても、彼が自分の体を盾のようにして着いてくることに変わりはない。春になると庭先に現れるカモの親子が脳裏によぎり、ドラゴンおやじの足は背後のコガモに合わせるようによちよちと進んだのだった。

 「さあて、何に見える?」
 「うん……生きてる!」
 間近まで近づいて、ビュウは初めてそれが生き物だと気づいたらしい。そろそろと手を伸ばしては引っ込めて、ふわふわとした毛足の長い羽毛の微かな感触を楽しんでいるように見えた。
 「ここがしっぽで、ここが足。 ……頭はどこ?」
 変わらず山のように動かない生物を前に、すっかり好奇心が刺激されたらしい。ビュウはドラゴンおやじの元を離れると、それの周りをしげしげと眺めながら歩き出す。ただまだ本体に触れる気はないらしく、腰に添えられた両手が彼をますます雛鳥に見せかけた。
 「おじさん、羽根があるよ! おっきい鳥さんだねー!」
 長い尾羽のついた丸いお尻からひょっこりと顔を出したビュウは、透き通るように美しい風切羽を見てようやくそれを鳥と認めたらしかった。新たな発見にビュウは笑顔を咲かせ、そんな彼の喜びが伝わったかのように、ドラゴンおやじの顔もまた綻んでいたのだった。
 「おお、気づいたか。そうだよ、この子は鳥にそっくりだ。でもね、これだけ大きくてもまだまだ子供なんだ」
 「えー?!」
 子供独特の甲高い声が、城壁に反射して庭に響き渡る。思ぬ音にドラゴンおやじは驚き目を見開いたが、どうやら驚いたのは彼だけではないようだった。
 「うきゃう」
 「あれ、今なにか……」
 「おや、君の声で起きたみたいだね。紹介するよ、ドラゴンのサラマンダーだ。サラ、顔をお上げ」
 「きゃふ!」
 「わ、わあ!」
 ドラゴンおやじに呼びかけに、赤い毛玉の中からすくっと空に向かって一本の首が伸びる。鼻の先まで真っ赤なそれは、子犬にしては大きな声で一声鳴くとヒスイのように澄んだ眼を二人に向けた。
 「…………ド、ドラゴン、さん?」
 「はは、さすがにビックリしたか。ほら、お立ち」
 上を見るばかりに尻餅をついたビュウに差し出されたドラゴンおやじの手。それを取り立ち上がると、合わせるように下りてくるドラゴンの顔。ごく自然に伸びるビュウの小さな手は、日の光を反射して輝く宝石に触れようとして寸前で動きを止める。
 「くふぅ」
 「あっ、ごめんね」
 「きゃふ」
 閉じた瞼にビュウの手は一瞬竦んだが、子供同士の仲直りがすぐ終わると何事もなかったように頬に当たる部分を撫で始めた。
 体は鳥のようだが、首は明らかに太く顔は馬のように見える。その全体を赤くふわふわとした毛が覆っており、それでも太陽を反射した艶のある被毛が未だかつて見たことのない生き物だとビュウに教えていた。
 「ふふ、とってもあったかいね!」
 「お、気づいたかい。サラマンダーは火のドラゴンなんだ。ドラゴンは他にもいるけれど、この子はとびきり暖かいよ。ぎゅーっと抱きついてごらん」
 「いいの?! えーい!」
 「きゃふう!」
 許可をもらったが早いか、ビュウはサラマンダーの首筋に抱きついた。大人でやっと腕が一周するかという首の途中で、小さな腕は柔らかな被毛に埋もれていた。
 すりすりと頬ずりすればするほど、その顔も温もりの中へ沈んでいく。石鹸の香りと獣の香りが入り混じった匂いは、不思議と彼の心を落ち着かせたのだった。
 「あったかいなあ……ふかふかで、いいにおいがして…………」
 「おやおや、ビュウも一緒に昼寝がしたいらしいよ。サラ」
 「くう」
 サラマンダーの存在を受け入れるほど、それは暖炉の火のようにビュウの身と心を優しく包みこむ。もはや身動きを取ることをやめた小さな体を、サラマンダーは守るように丸まった体に収めるとその上に再び顎を置いたのだった。
 「サラ、初めての子守はできるかな?」
 「ぐふふう」
 「……いいんだよ、こうしていることが私にとって初めての子守なんだ。そういう意味では、私もまたまだ雛なのかもしれないね」
 「きゃふー?」
 サラマンダーの問いかけに笑いながら答えると、ドラゴンおやじはその柔らかな体を優しく撫でる。それでもサラマンダーには分からなかったのか、小さく首を捻ると彼の頬をそっとひと舐めしたのだった。

陽だまりの雛たち
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雛祭りなので何か書こうと思いつつ、オレルスにはないと完結させようとしていたら
雛は雛でも鳥の雛。っていうのをズーネットさんが画像つきであげていたもので、
個人的なサラマンダーの像と結びついたのが全ての始まりで終わり。
生まれてさほど経っていないサラマンダーと新人パパと戦竜隊の雛。可愛い。
個人的な設定のどれにもつながりはないです。
20190303付



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