彼らの週に一度の決まり事。それはカーナ王立の図書館へ足を運ぶことだった。
司書に借りていた本を渡し、チェックが終わったのを確認するとバルクレイは足早にカウンターを後にした。
が、十歩も行かぬうちに後ろから服の裾をぐい、と引かれて立ち止まる。
「ちょっとバルクレイ」
「誰かな?」
「もー、何よ私よ振り向きなさいよ」
甲高い声がまくし立てる。
振り向かなくとも誰かは分かる。少し機嫌を損ねたのかむっとしてはいるが聞き慣れた声。
「どうしたアナスタシア」
「どうしたじゃないわよ、一人でどこ行こうとしてるの?」
「次に借りる本を探しにいくだけだ。本くらい一人で探してもいいだろ?」
「……いつもは一緒なのに?」
ぐっ、と声に出かかったのを堪えて、バルクレイは唾を飲み込んだ。
せめて反論しよう、と立ち止まるのを計ったかのように、アナスタシアは彼の前に小動物のような素早さで回り込む。
「いいでしょ、バルクレイ?」
「あ、ああ……」
アナスタシアはバルクレイを見上げて人懐っこい笑顔を見せている。そしてちゃっかり彼の右手を握っていたりもする。
が、そんな状況に関わらずバルクレイのどこかぎこちない動作に現れた変化を、アナスタシアはすぐに見抜いていた。
「バルクレイ、さっきから何か変よ」
「そうか?」
「私に何か隠したい事でもあるんじゃないの?顔に出てるわよ」
そっ、とバルクレイの口から小さく声が漏れる。
「そんなこと、無いからな。そもそも本を借りるだけだぞ?」
「ふぅーん、そうかあ。そうなんだー?」
バルクレイの目がどこか泳いでいるのを、アナスタシアは見逃さない。
「私ね、てっきり」
「てっきり?」
視線が合った所で、アナスタシアはにっこりと微笑みかける。
「男の人が使う、いけない本でも借りたいのかと思ったんだけど――」
「そんな物は置いてないからな」
アナスタシアの言葉に被せるようにバルクレイはため息交じりの言葉を吐くと、彼女の体を押しのけて一人歩き出す。
「えっ、ちょっと待ちなさいよバルクレイ、冗談なんだから!」
いつもならちょっとした冗談にも食いつくバルクレイの予想外の反応に、アナスタシアは思わず驚いて固まってしまったが、やがて弾かれたように彼の背中を追いかけた。
「アナスタシア」
「なに?」
「……さすがにさっきの発言はどうかと思うぞ」
バルクレイの背中を追うまま、いくつ目かの書架の角を曲がった後でバルクレイは立ち止まり、追いかけていたアナスタシアは思わず彼の大きな背中にぶつかりそうになる。
いつもならここで彼の身長を弄ってやる所だが、今は目前の状況をどうにかしなければならない。
振り返り、呆れた様子のバルクレイに対して、アナスタシアは笑みを浮かべて反論してみせた。
「だからあれは冗談だってば。それくらいならバルクレイも笑って済ませてくれるかなーって」
「正直、アナスタシアが下ネタを言うなんて微塵も思ってなかったよ、ぼくは」
「バルクレイはさ、私の事どういう人だと思ってるの?」
「どういうって……小さくて可愛くてお洒落で、見た目にあった可愛い物が好きで、その上で発言が自分の意見がハッキリしていて、女の子らしくて良いんじゃないか?」
そんな彼の発言を受けたアナスタシアの口から思わず小さなため息がこぼれた。
「バルクレイってさ、女の子に夢とか持ってたりするんだ」
「その言われ方だと持ってるのかな。でも」
指摘されて多少がっかりしたのか肩を落としつつ、バルクレイは言い聞かせるように口を開いた。
「ファーレンハイトの女性はどうも個性が強いというか灰汁が強いというか。みんなの昔がぼくの思う通りでないかもしれない」
「言ったかもしれないけど、ぼくはカーナ騎士団にいた頃から一員として真剣に取り組んできた。だからアナスタシアと出会う機会が遅れた訳で」
「きまじめ君だもんねー、バルクレイ」
ふうん、と声を漏らしつつさほど興味のない様子でアナスタシアは頷いた。
「でもさ、女の子なんてあの時代でも沢山話す機会があったんだから、バルクレイが今まで女の子に夢を見ていた理由にはならないんじゃないの?」
「うるさい」
渾身の言い訳を的確に突かれて、バルクレイは思わずそう口走っていた。
気恥ずかしさから耳が熱くなる。しかし場所のせいかアナスタシアは変化に気付いてはいないようだった。
良かったと胸をなで下ろしつつ、平静を装ってバルクレイは小さく咳をする。
「でも良かったよねー、私と一緒ならずっと夢見ててもいいんだもの。でも夢見たままじゃイヤだから、ちゃんと現実も見てよね」
「だ、だからここにいるんじゃないか」
「ここ?」
そう言ってアナスタシアは周囲を初めて見回した。
目に付く範囲で理解するに、そこは美容や健康、手芸について収納された書架らしい。
「なあにバルクレイ、もしかして現実を見るためにぼくも化粧してみたい、って?」
「そんな訳あるか」
「そうよねえー、あっでも化粧した顔は見てみたいかも。ってあれ」
きゃっきゃと浮かれた様子のアナスタシアを一人置いて、気付けばバルクレイは彼女に背を向けて歩き出していた。アナスタシアはすかさず後を追いながら抗議する。
「ちょっと、ねえ、どうしたのバルクレイ」
バルクレイは問いかけに応えず暫く歩き、足を止めた先で目線をアナスタシアに移した。付いてきた彼女は傍にぴたりと並んでバルクレイを見上げる。身長差のせいか、黙ったまま見下ろされると息が詰まるような感覚を覚えて、アナスタシアは口を結ぶしかなかった。
「……こ、ここに多分探してる本があるんだ。でもきっと、こういうのはアナスタシアの方が詳しいと思うから、手伝ってもらってもいいかな」
「なーんだ、そんなことだったんだ。いちいち聞かなくても手伝うのに」
バルクレイの声は予想に反して震えていた。
押し出すように吐かれた彼の言葉を軽い気持ちでアナスタシアは受け取って、にこりと笑みを浮かべると彼の右手を両手で包む。彼女の小さな手に収まりきらなかったバルクレイの指が、答えるようにそれを握り返した。
「ぼ、ぼくはてっきり似合わないものだって小馬鹿にされるとばかり」
「どうして?いつも分からない事はこうやって調べてるよね?それがたまたまバルクレイからしたら言い出しにくい物だったってだけで」
眉間に小さな皺を作りながらおどおどと口を開くバルクレイだが、そんな不安を吹き飛ばすようにアナスタシアはくつくつと声を立てて笑うと首をかしげてみせた。
「で、何を借りるの?」
「うんと、占いの本なんだ。それも出来れば女の子が喜んで使いそうな物がいいかなって」
「それは確かに私がいないと分からないかもね。分かった、探してあげる」
アナスタシアは大きく頷いてから、視線をバルクレイから手元に移した。
「だからこの手を放してくれないかな?」
「あっ」
言われて初めて、バルクレイはアナスタシアの両手を握りっぱなしであることに気づいたらしい。慌てた様子で体の距離を離したが、肝心の両手は握られたままだ。その理由を弁明するかのように、彼は口を開いた。
「そうだったごめん。でも緊張しててちょっと」
「ちょっと?」
「文字通り手が離せなくて」
「何言ってるのよもう!冗談言ってる場合じゃないの、分かってる?こういう時までのろのろだから女の子にも流行にも置いていかれるのよ」
出会ってから、せっかちになりがちな自分を律していたアナスタシアだったが、思わず口の中に溜まっていた言葉を全て吐き出してしまった。
しかし言われたバルクレイはへらへら笑っている。力が抜けたのか、するりと彼の握られた手からアナスタシアの両手が落ちた。間抜けな彼の表情を一瞥してから、アナスタシアは彼の横を通り抜けて本棚を物色し始めた。
「そうだね、ごめん」
思い出したように口にしたバルクレイの前に回ると、アナスタシアはにこりと笑って一冊の本を差し出した。
「あっ、のろのろだって認めたんだ?じゃあ今日は私の勝ちってことで。はい、こういうのでいいかな?」
それは比較的最近出版された、若い子向けのイラストがふんだんに使われた占いの本だった。
「……こういうものをぼくが借りて、怪しまれたりしないかな?」
「いまさら何言ってるのよ、隣に私がいればああこの人が借りるんだ、って分かるでしょ」
「そうだよね、初めてのことで混乱してるみたいだ。ごめん」
「また謝る。いいの。相手を知ろうって思って行動するのって素敵なことだと思うもの。それならのろのろでもいいんじゃないかなー、って」
「そうなのかな、ありがとう」
そう言って本を受け取らず、優しくアナスタシアを抱きしめるバルクレイ。彼の体躯のせいでアナスタシアは周囲からすっぽり隠れて見えなくなる。
「ちょっと、何してんのよ!」
アナスタシアは身じろいでみせた。だがそれがポーズであることを分かっているのか、バルクレイは彼女に微笑みかけるとゆっくり解放した。
耳まで紅潮させながら何か言いたげにバルクレイの顔を見上げるアナスタシア。そんな彼女の暖かい手を握り、バルクレイはそれを引いて歩き出した。促されてアナスタシアもゆっくり歩き出す。
「さ、これを借りたら少し遠回りして帰ろうか」
「――うん」
互いにぽつりと呟いて、二人は書架をゆっくりと離れた。
カーナは宗教国家だから禁止事項って案外あるんじゃないの、と思ったんですがよくよく考えてみると、ファーレンハイトのクルーはエロ本売ってるよね。テードにもあったよね。(こっちは持ち主不明だけど)案外緩いのか……?
第三回フリーワンライお題:図書館 でしたが作成時間倍は掛かってるからこっちでひっそり。