Novel / 君の甘さは気味悪い


 「ううーん」
 いつもの平和な朝。わずかに開けた窓から春の爽やかな風が部屋に吹き込みカーテンを揺らす。それは頭まですっぽり布団をかぶった彼の元にも届き、わずかな変化に反応した意識が眠りから現実へと揺り戻そうとしていた。
 「後五分……」
 そして彼もいつも通りの寝言を漏らした後で、長い共同生活を経て体に染み付いた容赦のない起こされ方への恐れが彼の目を覚醒させたのだった。
 「はっ……?! あっ、そっか」
 布団を跳ね飛ばし飛び起きてから、彼はここが自室であることに安堵の息をつくと、カーテンの隙間からのぞく空が青空であることに視線を動かした。
 どうやら今日はいい天気らしい。こんなに気持ちのいい朝なら、二度寝もさぞかし気持ちがいいに違いない。
 「それじゃあ」
 わざとらしいくらいはっきり口に出して、彼は最大限自分に甘えようと布団を手繰り寄せてそこに身を委ねた。やはり自分で選んだ枕は何度横になってもいいものだ。
 後は自然とやってくる睡魔に身を委ねるだけ――そのはずだった。
 

 

 「アンタ! いつまで寝てるつもりだい? 二度寝は許さないからね!」
 「……やっぱりダメかあ」
 何度となく聞いた力強い声が彼の耳を打った。それと同時に全てを諦めたような顔をして、彼はのそのそとベッドを出るとせめてもの抵抗とばかりに大きなため息をついた。
 「それで、どうなんだい!」
 「起きてるよ、母さん」
 まぶたをこすりながらも最後の盾であるドアを自ら打ち破ると、彼は階段の踊り場に立っておそらく下で待ち構えているであろう母親に向かって白旗をあげた。
 そしてそのまま階段を下りる。スリッパがぺたりと音を立てる、それを待っていたかのように、母親の口から意外な頼みごとが彼の耳に届いた。
 「ちょっと、せっかくだからフレデリカを起こしてくれないかい」
 「えっ、僕が?」
 「アンタが一番最後に起きたんだからね、頼んだよ」
 「ええー……」
 少し前の声とは打って変わって彼女の声は優しかった。だがそこには有無を言わさない凄みがあり、彼は小さな不満を漏らしながらも踏み出した足を戻さざるを得ないのだった。
 

 
 

 軽い数回のノックの後で、反応がないことを耳をそばだてて聞いた彼は恐る恐るドアノブに手をかけた。
 「おじゃましまーす……」
 まだ薄暗い部屋に、彼は滑り込むようにして入る。そして後ろ手で慎重にドアを閉めようとして思わずぼやいた。
 「これじゃあ泥棒に入るみたいじゃないか。僕は何も悪くないぞ、うん」
 自身にいい聞かせうなずくと、彼はそれでもひたひたと足を動かしフレデリカの寝ているベッドへ向かった。
 この部屋は元々両親が使っていた部屋で、何かと体調の変化が起きやすいフレデリカを心配して母親が空いていたベッドを使わせているのだ。
 そうでなくても今、この家には自分を含めて四人住んでいる。その中で男は自分ひとりしかいない。同居人が増えるついでに家具がいろいろ運び込まれたが、何とか彼は自分の砦を守ることに成功したのだった。
 「フレデリカ、起きて、ないよね……」
 声がどんどんしぼんでいくのが嫌でもわかる。ベッドライトに照らされた彼女の寝顔はとても安らかだった。呼吸に合わせて、胸のあたりがゆっくり上下しているのがわかる。
 「……どうしようかな」
 起こしてこい、といわれた以上、彼女を起こして一緒に下におりることが達成条件であることは明白だった。しかし相手は女性、しかも熟睡している。これが自分の母親だったら容赦なく布団をまくり上げるのに、と素直な悩みをため息として吐きだして、彼の足は窓際に向かった。
 「よいしょ」
 小さく掛け声を出しながら、彼は両開きの分厚いカーテンに手をかけそれを一気に開いた。
 さーっ、という小気味良い音を出し、カーテンがレールを滑っていく。それと同時に眩しい太陽の光が彼の目に飛び込んできた。
 「うわっ」
 思わず手で光を遮って、彼はゆっくり太陽に背を向ける。太陽の光は部屋の隅まで照らしだし、眠ろうとする者を容赦なく起こすには十分すぎた。
 「フレデリカー、朝だよー」
 「うー、ん……」
 昔母にそうされてきたように、彼は軽く両手をたたきながら彼女のベッドに再び近づく。小さな声を漏らしながらわずかに布団に顔を隠そうとするフレデリカのその精一杯の抵抗を、彼は微笑ましく思いながらその布団を手に取りまくりあげた。
 

 

 「んー、んー……あれ?」
 「お、おはよう」
 「おはようございます……」
 いざ起こしたはいいが、その先を考えておらずあいまいな笑みを浮かべる彼と、目の前に突然現れた彼に戸惑いながらも挨拶を返すフレデリカ。
 しかし上体を起こす彼女は両手で支えていても明らかにぐらぐらと揺れていて、彼はこのままベッドに戻すべきかと悩みつつも彼女の背中に手を添えて彼女の姿勢が安定するのを待った。
 「大丈夫?」
 「はい、いつものことなので。それにしてもどうしてオレルスさんが?」
 「いやあ、母ちゃんに起こしてこいって言われちゃってさ。どうしよう、寝ておく?」
 特に自分が悪いわけでもないのに繕うようなオレルスの物言いに、フレデリカはくすりと薄く笑いながら小さく首を横に振った。
 「いえ、せっかく起こしていただいたので。生活リズムを守るのが大事、ってゾラさんもおっしゃってましたし」
 「えらいなあ、僕なら理由をつけて二度寝を満喫するけどなあ」
 「ふふ、だからゾラさんは人一倍オレルスさんには口うるさいんですね」
 「簡便してほしいよね」
 母の愛、とはかくも厳しいものなのか。二人の笑い声が部屋に活気をもたらす。フレデリカの表情も明るく生気が満ちているように見えた。
 

 「じゃあ、母ちゃんが乗り込んでくる前に下りようか」
 「そうですね、今朝は軽めで大丈夫そうです」
 「……薬?」
 さりげなく差し出されたオレルスの手を取ってベッドを出たフレデリカ。そんな彼女から自然に不穏な言葉が出て、彼は思わず声を潜めた。
 その感情を読み取ったのか、フレデリカはふふ、と小さく笑みをこぼす。
 「私、今飲んでいるものはお茶としてとっているんです。オレルスさんは知らなくても仕方ないと思います」
 「ああ、そういえばフレデリカのお茶だけ別だよね」
 家事にも借り出されるオレルスは、食後のお茶の準備までもこなしていた。だがいつもフレデリカが飲む分だけは彼女自身が淹れていることを、頭の隅で思い出したのだ。
 「強い薬は避けて、自然の似たような効能のものをとるように言われたの。だからいろいろ試してみて……」
 「試す?! 自分の体で?」
 驚くべき言葉がフレデリカの口から出てきて、オレルスは突拍子もない声を出した。どうやら彼女の療養は、彼が思っていたより複雑そうだった。
 「大丈夫ですよ、私、薬のことに関しては知識があるんです。それにその日の気分で飲むものが変えられるので、実は毎日楽しんでるんですよ」
 「そ、そうなんだ……」
 「夢見の悪い日は調子の上がるお茶を、失敗できないことのある日は気持ちの奮うお茶を。そうだ、せっかく起こしていただいたので、オレルスさんのリクエストで一杯、いかがですか?」
 「いやあ、今日は遠慮しておこうかな……」
 いつになく口の回るフレデリカを前に、オレルスの脳裏に浮かんだのは戦争時代、何かとへたり込んでは震えているフレデリカの姿だった。
 そんな昔を忘れてしまおうと頭を振ると、彼は曖昧な笑みを浮かべつつドアを開けるのだった。
君の甘さは気味悪い
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フリーワンライのお題でしたが一時間半かかってる。いつもこんなじゃない?
というわけでたぶん他に見たことがないだろうオレルスとフレデリカの組み合わせでした。これが日常これが空気。
フレデリカって普通の薬じゃ飽き足らず、持ち前の知識で色々作って飲んでそうだなーなんて思ってます。これぞ薬中。
その分ハーブの効能にも精通していて、お茶として同質の女子に振舞っていたりするのですが、部屋の違うオレルスが知るわけもなく。そんな感じです。
170511



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