「ホーネット」
「なんだ」
「なんだじゃない、これ」
背中越しに声を掛けられて、ホーネットは振り向き、ついでに脱いだシャツをビュウに手渡す。
反射的に受け取ってしまった、という表情になるビュウを気にすることなくホーネットは首をかしげた。
「で、なんだって?」
「……今日の洗濯当番はどっちだった」
「……俺だな」
「何か言うことは」
「すまない」
「よろしい」
頷きながら、ビュウは手馴れた手つきで洗濯物の山から柄物を抜き出して籠に入れていく。
戦争が終わり二人で暮らすようになってから、ずいぶんお洒落着が増えたものだと関心していた。
それもこれも、なにかとホーネットがデートと称して服を買いに行くせいだった。
ビュウにはお洒落の何たるかが分かっていない。お陰でビュウはいい着せ替え人形だった。
それでも悪い気はしないのだから、人間関係とは不思議なものだ。
「はやくしろよ、湯が冷めるぞ」
「誰のせいだと思ってる」
「ごもっともで。ほら、背中流すから」
「分かったよ」
分かってないだろう、と苦笑しながらもビュウは自らのシャツに手を掛ける。
ホーネットの調子に流されることは多々あるが、それでも許せるのは愛ゆえなのか。
ゾラがここにいたら間違いなく説教行きだな、と昔を思い出してビュウはシャワー室の戸を引いた。
「で、明日の洗濯当番だけど」
「待ってくれ、明日はカーナに戻るんだ。俺は一日手を離せないし――」
「分かった、分かったよ。結局外には干せないし最低限だけ干しておく」
「頼んだ、その分パピーはしっかり見ておくからな」
「本当に調子がいいな、ホーネットは」
そう口にして、ビュウは再びホーネットの背中を洗い始める。
彼の大きな背中を見ながらビュウは思う。この平穏を守るために、自分はホーネットと共に空を飛んでいるのだと。
「ビュウ」
「ん」
「交代だ、背中」
「あ、ああ」
気のない返事をしてビュウはホーネットに背を向け、タオルを渡すのも忘れてまた黙ってしまった。
ホーネットはビュウに身を寄せ手からタオルをそろりと取ると、間近に迫った彼の顔を見た。
悩んでいるわけでもない、悲しんでいるわけでもない。ただ思いに耽っているだけだと確認できて、ホーネットは小さく息をつくとビュウの口元にキスをした。
「なんだ、突然」
「残念、気づかれちまったか」
さすがにビュウは気づいたのか、驚いてホーネットの顔を見た。
触れ合いそうな二人の顔。ホーネットはここぞとばかりに今度は唇を触れ合わせると、にかっと笑ってみせた。
「考え事をしてるほうが悪い」
「本当に、調子のいいやつだな」
そう口にしながらもビュウの頬は緩み、されたことを受け入れ喜びを感じているようだった。
その表情をひとしきり眺めた後で、ホーネットはビュウの背中を洗おうと体勢を戻した。
そして彼の背中をゆっくりと洗いながら、ホーネットは計画を実行しようと口を開いた。
「なあビュウ。仕事が終わったらしばらく時間があるだろう?」
「ああ、その間に食料を買い込まないといけないな」
「それもあるんだが、少し付き合って欲しい店があるんだ」
ビュウは少し黙って、それからホーネットの顔を見ようと首を捻った。
「……またファッションの店か」
「そう嫌々言わないでくれよ。着てみて嫌なら買わなきゃいいんだ。気分転換も必要だろ?」
「俺は、ホーネットと市場を歩くだけでも十分すぎるんだけどな」
「控えめだなあビュウは。俺はそういうところも好きだぞ」
言い終わるか否かのところで、ホーネットはタオルを放り出しビュウに抱きついた。
首筋に頬を寄せると、石鹸の香りと髪に残るドラゴンの香りが入り混じった匂いがする。
「はあ……。長居はしないからな」
そういいつつも、ビュウは嬉しそうにホーネットに頬を寄せながら笑うのだった。
*
*
*
「暑いくらいだな」
「コートは余計だったかな」
ホーネットはそういうと、羽織っていた春物のコートを脱ぐと小脇に抱えて空を仰いだ。
カーナ王都の西にある人気のブティックが並ぶ通りに二人は足を運んでいた。
周囲は春らしいパステルカラーに身を包んだ女性たちが歩いており、男二人は目立つのではとビュウは危惧していた。
その通りで、二人の顔を見てはきゃあきゃあと女性たちは騒いだ。
それを全く気にせず歩くホーネットとを交互に目をやりながら、ビュウは置いていかれないよう彼の後を追う。
「なんだ、まだ人目に慣れないか?」
「ホーネットが慣れすぎなんだ。あんなにじろじろ見られて平気でいられるなんて」
「昔の話は散々したろ。女の視線なんて餌付けをされた野鳥みたいなもんだと思っとけ」
「はは、まったく酷い物言いだな」
遅れ気味のビュウにあわせて歩く速度を落としていたホーネットだったが、このままでは埒が明かないと後ろを歩くビュウの手を握った。
突然の出来事に、ビュウは躓きそうになりながらも手を引かれ歩き出した。
もちろん文句を言うのは忘れない。ホーネットの顔を覗くようにして口を開いた。
「おい、どういうつもりだ」
「ここで問答をしている暇はないし店はまだ先だ。行くぞ」
ビュウに軽く視線を送って、ホーネットは行きかう女性の波を割るようにして目的の店へ向かった。
「いらっしゃいませ」
「この店で合ってるのか……?」
ホーネットに導かれるままにとある店に入ったビュウは、店内を見回して思わず首を捻った。
「そうだ。この店の新作をカタログで見たときから気になっててな」
「新作をご覧になりにいらっしゃったのですね、ありがとうございます」
ビュウの反応よりはやく、二人を迎えた店員が頭を下げる。
困惑しているビュウをよそに、ホーネットは店員に向けて笑顔を作った。
「そうだ。まだあるか?大き目のサイズを出してもらえると助かる」
「かしこまりました、どうぞこちらへ」
ホーネットの注文に店員は小さく頷くと背を向け店の奥に歩いていく。
言われるままに店員の後ろを歩くホーネットを、ビュウはぼんやりと眺めていた。
日ごろ見ない光景、訪れない店を前にこの日ばかりは冷静な判断力も鈍っているようだ。
「ビュウ、こっちだ」
「……ん」
名前を呼ばれて反射的に顔を向ける。そこにはいたずらじみた笑みを浮かべたホーネット。
いつの間に店の奥に移動していたのか、彼はビュウに向けて小さく手招きしていた。
呼ばれるままに彼の元へ向かうビュウに、今度はその手でカーテンを引き視線をその中へと移した。
「入れって?」
「そうだ。そのために連れてきたんだからな」
ビュウはホーネットに言われるままに靴を脱ぎ、更衣室に足を踏み入れる。
そこに、出番を待っていたかのようにレジの奥から店員が綺麗に畳まれた服を持って現れた。
「お客様、こちらでよろしかったでしょうか?」
「ああ。じゃあ、着替えたら教えてくれよ」
俺に着せてどうするんだ、そもそも店員も他にいう事があるんじゃないか、とビュウは口を開きかけた。
しかし店員から服を受け取ったホーネットはにこやかな表情を崩さないままビュウに服を渡しカーテンを引いて、空間に一人残された彼は疑問を飲み込むしかなかった。
「これで、いいのか……?」
明らかに戸惑うビュウの声に、カーテンの外で椅子に腰掛けそわそわと待っていたホーネットは勢いよく立ち上がるとビュウの反応を待つことなくカーテンに手を掛けた。
「どうだ?!」
「ば、バカ野郎!終わったなんて一言も」
「おお、いいじゃないか。サイズはどうだ、苦しくないか?」
「……何の冗談か知らないがちょうどいいぞ」
文句のひとつでも飛ばしてやろうと思っていたビュウだったが、ホーネットの笑顔を曇らせるのに気が引けて素直に付き合うことにした。
服のサイズがちょうどだったことは、本当に偶然だと思いたかったが。
ビュウがホーネットから手渡されたそれは、エプロンドレスのシックなメイド服だった。
ただ見た目に拘りがあるのだろうか、エプロンの淵はフリルとリボンで飾られ、ワンピースの袖はパフスリーブになっていて可愛らしさが引き出される、のだろう。
「男の俺が着てもなあ」
純粋な感想を漏らしつつ、ビュウはその場でゆっくり回転してみせた。
飾り気のないドレスの裾がふわりと舞う。その様子をホーネットは声も上げずに見ていた。
「着心地は案外いいんだよな……。そもそもどうして俺にこんなもんを着せようと思ったんだ?……ホーネット?」
「あ、ああ。よく似合ってるよビュウ」
「そりゃどうも。……じゃなくてな」
「――なんだ?他のも着てみたいのか」
「話を聞け」
ビュウが呆れる一方で、ホーネットはにこにこというよりでれでれといった表情でビュウの問いに答えていた。
答えるというよりも、予想以上の成果に満足しつつビュウの姿に見惚れているといったほうが正しいか。
「なに、なにかと家事を任せてしまっている以上、作業しやすい服があればビュウも喜んでくれると思ってな」
「俺はシャツとパンツで十分なんだけどな」
「何より妻が可愛い格好でいてくれると俺が嬉しい」
「少しは本音を隠そうと思わないのか」
まったく、と文句をこぼしながら、ビュウは視線をついと逸らした。
逸らした先にある鏡で自分の姿を再度確認しながら、ホーネットが喜ぶさまを想像すると自然と笑みがこぼれていた。
「いい買い物だったろ?」
「そうかな、実際に使ってみないと確かなことは言えないさ」
船へと戻る帰り道、二人は周囲の目を全く気にすることなく会話を楽しんでいた。
「あの店の服はな、実際に働いているメイドが着てるんだぞ。ファッション目的だけはビュウが嫌がるだろうと思ってな」
「見た目だけのお着替えならそれこそパピーにしてやってくれ」
ビュウの答えにあわせて二人は小声で笑ったが、すぐにホーネットは「いや」と笑いを打ち消した。
「案外、ありかもしれないぞ」
「パピーの大きさにメイド服をか?せめてエプロンだけでも、いやでも」
「できる限り可愛く仕立てた前掛けでもいいと思うんだ。どうだ?」
ホーネットの突然の提案に、ビュウは戸惑うことなく想像を働かせた。
パピーがフリルのエプロンをつけた姿。
それは限りなくよだれ掛けに見えるものだが、二人にとっては違うものが見えているらしかった。
ビュウは大きく頷いて満面の笑みを浮かべ、包装されたメイド服を眼前に掲げてみせた。
「どうせならこれと似たようなデザインにならないかな」
「おっ、いいな。とりあえずはサイズを測って作ってくれるところを探さないとな」
「これでパピーに嫌がられたら悲しいな」
「はは、それは簡便して欲しいところだ」
そうして二人は可愛いわが子の衣装をああだこうだと言い合いながら、仲睦まじく肩を並べて通りを去っていった。
どこを調べても語呂合わせ以外の何も出てこなかった上に一日遅れのメイドの日。
ビュウのメイド服が見たい。とうの昔に界隈で描き尽くされたネタだろうとは思うけど、
自然とパピーの話題になるのはそりゃー二人の可愛い愛娘?息子?ですものそりゃあねえ(私的感)
べったーかどこかにあげたはずだけど行方不明になったので改めてサイトにアップしました。
20160511