「ぜーったいに、認めないからな!」
「……何を言ってるのか分かってるのか、ビュウ?」
「当たり前だろ、子供の駄々じゃないんだから」
本人も言い方が幼いとわかってはいるのだろう。ごまかすように咳払いをひとつして、ビュウは深く頷いてみせる。そしてぐっと拳を握ると目の前の男に向けて力強く宣誓したのだった。
「サラは、どのドラゴンとも結ばせない!」
爽やかな春の風に乗って、ドラゴンに過剰なまでの愛情を注いだ男の暑苦しい声が響いたのだった。
「……おほん」
さらさらと風が大地を撫で、草花が歓喜に身を揺らす。遠くに聞こえる水の流れと相まって、それはさらさらと耳に心地よい音を奏でていた。雄たけびが響いたことすらなかったかのような、爽やかな情景をジョンの咳払いが打ち破ったのだった。
「それはビュウが決めることだよ。ワシもサラを任せるなら、よく知った人間と決めているからね」
「それじゃあ……!」
ビュウはぱっと目を輝かせる。戦場であれば鷹のように鋭いと表現されるであろうその目は、今だけは子供のように期待と喜びでらんらんと輝いていたのだった。
サラマンダーに絡み幾度と見てきたその表情を、ジョンはため息混じりに否定した。
「なーにがそれじゃ、じゃ。今はその話はしとらん。ビュウは今何をすべきか忘れとらんか?」
「ドラゴンたちのペアを見繕って、赤ちゃんが無事生まれるように舞台を整える、だろ。おやじが言うことに違いないのはわかってるよ、だからこそ――」
「――ビュウ。立場というものを理解せんか」
わかってるよ、そう言い返そうとしたビュウの口をジョンの鋭い眼光が縫い合わせる。と同時に流れた深いため息が、彼の真剣な思いを表していた。
わが子のように――いや、わが子として可愛がってきた彼にとって、降って湧いた発情行動はそれこそ彼の長年の願いであった孫の誕生を示唆していた。だが今の自分の立場は、あくまでも反乱軍と行動を共にしドラゴン育成を補佐する役割しかない。育ての親だからと特別扱いされないことを良しとしていたジョンだったが、だからこそ自分の意思を継ぐべきビュウの予想できた言動に沸いたため息には呆れが含まれていたのだった。
「……サラの思いはどうなるんぢゃ」
「やっぱりそうなるよな」
会話を聞いている第三者がいればすかさず突っ込みの一つでも入るところだろう。けれどビュウはジョンの言葉に大きく頷くと、顔を逸らして右手を唇に添えた。愛しいものの名を呼ぶために。
「サラ、おいで!」
「きゃうう!」
指笛とどちらが早いか、サラマンダーの声がビュウの耳に届いた。カーナ城の正門にかかる巨大な橋と市街地へ下る開けた道。だがそれらはほぼ人間と、よくて馬のために整備されたものでありドラゴンたちにとっては手狭な場所だった。彼らの翼の行く先をビュウが留める理由はない。だが信頼が成り立っているからこそ、彼らは目の届かない場所にいても掛け声一つで駆けつけるのだ。
突然の強風にも二人は驚きはしない。ざざざ、と鼓膜を揺らすのは翼が風を切る音だろうか、堀の水が波を立てる音だろうか。
「きゃふ!」
どのような姿を取っても決して変わることのない愛しい声の主は、短く声をあげると制止の効かない子供のように顔を摺り寄せた。人の頭ほどある深い緑色の瞳が光り輝く。同じ戦場で戦い成長したビュウだったが、さすがの力を受け止めきれずに僅かによろめいたのだった。
「よーしよし、おしゃべりの邪魔をしてないかな……おっと!」
「ぐふふー」
「ふふ、揃って立派に成長しても、こればかりは変わらない。いいことぢゃ」
「おやじ――ふふっ、くすぐったいよサラ」
ジョンに文句の一つでも言おうとしたビュウが口を開いた瞬間、その口元をサラマンダーの舌がなぞるように舐める。どこか自慢げに喉を鳴らすサラマンダーと頬ずりを返すビュウを、ジョンは微笑ましく見ていた。
「――本当に仲が良くていいことなんじゃが」
「すー、はー……おやじ、どうした?」
「いや、呆れるほどの仲の良さにため息が出ただけさ」
いつものようにサラマンダーの柔らかな毛皮に埋もれて匂いを嗅いでいたビュウは、顔についた毛を気にせず笑う。
「そんなのいつものことだろ。サラだってずっとこうして、いられないからここにいるんだよな」
「そういうことぢゃ」
「くふー?」
再びビュウに顔を擦り付けようとしていたサラマンダーが首を傾げる。その可愛らしさに、二人は自然と笑みを古語していたのだった。
だが、肝心の問題は解決していない。
ビュウが言いにくそうにしているのを見かねて、ジョンはサラマンダーの首筋に触れつつ口を開いた。
「サラよ。私が思う以上に立派に育ったな。お前は分かっていないと思うが、子供が残せるくらいには育っておるのぢゃ。サラにも赤ちゃんの時代があったことは覚えているかな?」
「くるるるう!」
ジョンの問いかけに、サラマンダーは間髪入れずに喉を鳴らすと彼に向かってくうくうと甘えた声を出した。
「やっぱりドラゴンにも記憶はあるんだな」
「そうみたいで嬉しいよ。ビュウには散々話したが、時間ができたら思い出話をしてみるのもいいかもな」
「時間、か。そういえばカーナを離れてからずいぶん経ったけど、おやじと話す時間は数えるほどしかなかったな」
「こうしてまたカーナに戻ってこれたんじゃ。穏やかな時間は必ずやってくる――が、どう過ごすかはビュウ次第ぢゃ」
「そう、そうだよな。それで、サラ……」
ジョンの助けに誘導されて、ビュウは改めてサラマンダーの正面に立った。世界に平和が訪れた後を決めるのは自分自身なのだ。そこには、もちろん時の女王であるヨヨの計らいも含まれている。関係性以上に育まれた信頼関係が、ビュウの望むことに繋がっていると信じているのだ。
唾を飲み、域を吸い込む。言葉を待つサラマンダーはきっと、今か今かと遠乗りの誘いを待っているに違いない。
違いはないのだが――。
サラマンダーは言葉の意味を理解してくれるだろうか? そんな不安を胸に、ビュウは思いを口にした。
「サラマンダー。全てが終わったら、ずっと俺のそばにいてくれないか? 昔みたいに、一緒に暮らそう」
「くふー……く、くう、くふふ」
言葉を咀嚼するように頭を上下に揺れしていたサラマンダーだったが、ややあってその目をゆっくりとジョンへ向けた。
「おやおや、ワシのことが心配なのか? 本当にいい子じゃな。そう思わんか」
「そうだな、育て方が良かったんだろう。でもサラはずっとおやじにいて欲しいみたいだし、それは俺も同じだ。あの場所にはもう帰れないけど、同じようにまた三人で暮らそう」
「ははは、まさかワシも告白されるとは思ってなかったよ。さてさて……」
相手が育ての親だろうが、恥ずかしいことに変わりはない。照れ隠しながらの告白に、敢えてジョンは回答を引き延ばしている。ならばここは、とビュウの視線が隣に移った。
「サラからも頼むよ」
「くう? くう、きゃふう!」
「こらこら、その手は卑怯だぞ。ははは、参った参った」
「作戦勝ちだな」
「きゃう!」
ビュウの想いに応えて、サラマンダーは顔をジョンに向けるとじっと見つめた。もちろん甘えた声と頬へのひと舐めも忘れない。たまらず白旗を揚げたジョンの向かいで、二人は笑いあい顔を寄せ合うのだった。
「だが、ワシはもうジジイぢゃ。平和なオレルスの空をお前たちには楽しんでもらいたいから、ワシは留守番担当にさせてもらうよ。それでもいいかな?」
「もちろん。サラもいいよな?」
「きゃうう!」
返事とともに、サラマンダーはきらきらと目を輝かせる。きっと彼にも、未来というものが少しは理解できたのかもしれない。
「――だから、サラには立派な親になって欲しいと思うんだ」
「おおっと、それはどういう風の吹き回しかな?」
押し黙り、再び顔を上げたかと思えばビュウの表情は真剣そのものだった。ドラゴンに関してはとにかく頑固だと思っていた彼の気の変わりようにはさすがのジョンも驚きを隠せなかった。
「考え直したんだよ。少なくとも、戦竜隊の歴史の中でドラゴンベビーが生まれた記録はないんだろ? これからは解放軍の誰かや俺が手助けをするんだろうけど、子供を残す気があるかどうかはドラゴンたちにかかってる。だからこそ俺は、サラマンダーの子に未来の戦竜隊を託したいんだ」
「ビュウも立派な考えを持つようになったのう。鼻高々ぢゃ」
「そ、そうかな」
人の親として。そしてドラゴン育成のプロとして。常に背中を追い続けた本人から面と向かって褒められるのは、嬉しい以上に気恥ずかしい。
ビュウは視線を逸らす。だがそこに、ずっと言い損ねていたであろうジョンの言葉が突き刺さった。
「そこまで冷静にものを考えられるなら、そもそも数少ないドラゴンが退役できるはずがないところまで頭が回りそうなんぢゃがなあ」
「そ、そこは馴染みの計らいってやつでだな……」
「ちゃっかりしておるのう。まああの姫様ならビュウの考えはお見通しぢゃろうし、上手くいくだろうね。それで……」
一瞬竦んだビュウだったが、二人の関係を長らく見てきたジョンのお墨付きで落ち着きを取り戻したのだった。
「肝心のサラにはどう伝えるんぢゃ?」
「そうだな、サラ――」
「くう?」
一言ビュウにそう言うと、自身の役割は済んだとばかりにジョンはその場から少しずつ後ずさる。そんな彼に一つ頷くと、ビュウは改めてサラマンダーに向き直った。
「話は聞いていたかもしれないけど、俺はサラの子供に、次の戦竜隊を引っ張って欲しいと思ってるんだ。もちろんその後、どうするかはサラ次第だ。どうかな?」
「くう……ぎゃふ、きゃるるるう!」
「おっと」
「よしよし、交渉成立みたいだね。さて、後もう一人を決めてもらおうかの。ビュウの代わりみたいなもんぢゃし、大事に大事にな」
「――なッ?!」
サラマンダーの聞いたことのない猛り声に驚いたのもつかの間、ビュウはジョンの一言で顔を真っ赤にしたのだった。
「分かってないとは言わせないのぢゃ。ワシもできることなら、と何度願ったことか。だからこそこうして子が生まれる瞬間を迎えられることが、何より嬉しいのぢゃ。さあさあ、ビュウ。どの子を選ぶのかな?」
あっけなくビュウに語られるジョンの思い。いや、相手がビュウだからこそ包み隠さず話すことができたのだろう。
貴重な理解者と、手の届きそうで届かない愛しい相棒の間で、ビュウはしばらく悩んだ後顔を上げた。
「決めたよ、サラの相手は――」
しばらく後、ファーレンハイトで一つの命が失われ、一つの命が誕生するのだが、それはまた別の話。
できればけもケのペーパーでこういう話を出したかった。いつの話だと思ってんだ。
ちなみに4ページで収まらなかったぐだぐだ話です。愛が重いです。でも二人にとっちゃ普通だろと思わせるから凄い。むしろそれくらいの愛情を持って接していて欲しい。
軽い注意書き入れたのでここでは説明不要だと思いますが、「ちいさなつばさたち」シリーズの内容、ネタバレ?を多分に含んでいます。ここまで本編がたどり着くのか?とか、書きたいところだけ書き出して大丈夫?なんて思われるかもしれませんが多分きっと大丈夫です。
書いている本人が何より、ペアリング前のドラゴンは発情で気が立ってるのにサラマンダーの反応が穏やか過ぎない?と思ったのですが展開の都合上でこうなりました。本になるときには適宜修正されているはず……だと思うんですが、そこにたどり着くまでに何巻出すつもりなんでしょうかこの人は……(他人事)
20190527