ぐるり、と右肩を回すと、男は意思を固めるように頷いた。
厚い木製のドアの向こうで、ドラゴンの懐かしい声がする。
今さら許可など必要ないはずだ、と男は粗雑な作りのドアノブを握る。それに掲げれたプレートには、間違いなく男本人の名前が彫られていた。
ガチャリ。
開いたドアの隙間から差し込む光に、男は一瞬目を伏せた。窓が開けられているのだろう、風に揺れるレースカーテンが彼の目を誘うように開かせる。
「おっ、戻ったか」
「きゅるー!」
普段なら静寂の支配する男の部屋は、すでに先客がいた。その男はのんきな口調でそう言いながら、椅子に悠々と腰掛けている。
銀色の長髪がさらさらと風にながれる様子は美しいのだが、今はそれを褒めている場合ではない。
「……ただいま、ホーネット。パピーも元気そうだな」
「くくう!」
皮肉半分の挨拶にも関わらず、ホーネットの愛娘と言っても憚らないドラゴンは喜びの感情を爆発させるように鳴いた。
開け放たれた窓の外。普段ならサラマンダーが顔を見せるそこには、弾むボールのようにふわふわと体を浮き沈みさせるオレンジ色のまあるいドラゴンの姿があった。
どんなに覚悟を決めたとしても、パピーの黒く輝く真珠のような瞳を向けられてしまえば、文句など吹き飛んでしまうのも当然だろう。
――だが、それが人間相手となれば話も別だ。
すっかり緩んだ顔をなんとか引き締め、すべて見られていると分かった上で男は口を尖らせた。
「……どうやら俺が、二人の時間を邪魔してるみたいだな?」
「おいおい、そんなことを言うなって。同類として傷つくぞ、ビュウ」
笑いをこらえる必要もない、とクスクス笑いながら、ホーネットはこの部屋の主であるはずのビュウを彼なりの言葉で励ました。
それもそのはず、彼がこうしてパピーと生きていくことを決めたのは、すべてビュウのおかげなのだ。
「何を一丁前なことを言ってるんだ」
その声に溜息を混ぜつつビュウは笑う。表情とは裏腹に、じりじりとつま先は外へと動いている。そのちぐはぐさにホーネットは目を向けた。
「どうした、今どき追っ手にでも遭ったのか?」
「――似たようなもんだな」
指摘を前に、動きはぴたりと止まった。自然と消えた音の合間を縫うように、レースのカーテンが風にさらさらと揺れる。動きを追うパピーの目に視線を移して数秒、やっとビュウの口から安堵の息が漏れた。
「ああ、女の子たちに捕まってた。だから撒くことが得意なホーネットの力でも借りようと思ってな」
「思ってもない事を言うな。それにどっちも卒業済みだ」
「残念」
弾むように口を開いて、ビュウは空いている椅子に手を掛けた。どうやら向かい合わせで座りたいらしい。
「それにしても何の用だったんだ? ここに寄るのもそう珍しくはないだろ」
「見た目は気になるんじゃないか、どの衣装が可愛いと思うかって呼び止められて、ほら」
そう言いながら、ビュウの右人差し指は上を向く。ホーネットに思い出してもらうための、かつての同僚である女子を指すジェスチャーだ。
すうすう、と指先を掠める晩秋の風から守るように握った拳に視線を落として、そこで初めてホーネットは溜息に似た言葉が漏れ出た。
「――ああ、そうか」
「薄情だなホーネットは。寧ろ今、俺よりホーネットの方が顔を出したら喜ばれるぞ」
「……悪魔か、お前は」
悪魔は悪魔でも、小悪魔ではあるが。
そう心の中で補足を入れつつ、ホーネットはビュウに負けじとにやけ笑いを浮かべた。
「お節介だったみたいだな。俺が他に出来ることって言ったら――」
「……相手より自分のことも考えたらどうなんだ?」
人身御供を回避できても、ビュウの頭の中はまだできる悪戯が巡っているらしい。本気にせよ嘘にせよ、彼の気を逸らさなければ無事ではいられないだろう。
だからこそ、と思い切って話の中心を二人の関係に持って行ったところで、にやけていたビュウの目は不思議なものでも見るように向けられていた。
「あのな。この時期に休暇を取っておいて、やってることがパピーを構うだけ、っていうのもどうかって言いたかったんだぞ。どうだ、俺の口から指摘されるのは」
「きゅう!」
そう言いながら、ビュウの手はすでに窓から乗り出したパピーの顔を撫でていた。甘えた声ですり寄る彼女の表情に視線を移して、ホーネットは改めて目の前の事実に息を吐いた。
この関係が嫌な訳では決してない。寧ろ命ある限り続けばいいと思っている。だが証明するものは何もなく、たとえ書類を二人の名前で埋めたとしても、ビュウの心までは縛ることはできないのだろう。
だからこそ、その綺麗な薬指に証を残したいと思うのはワガママなのだろうか?
「じゃあそっくり返させてもらうけどな、去年の今頃、俺とお前はどうしてた?」
「――一緒に戦竜隊のドラゴン行進に参加してた、だな」
「正解。はあ、俺の存在を忘れてたらどうしようかと思ってたんだぜ?」
すらすら出てくる答えに大仰な溜息でホーネットが応えると、ビュウの穏やかな表情が一瞬崩れ、眉間に皺が寄る。だがその瞳は、新しいおもちゃを見つけたように輝いていた。
「やめろ気持ち悪い。やっぱりホーネットには演技の才能はないみたいだな」
「言っとけ」
つっけんどんに答えながらも、ホーネットの顔はビュウに釣られて笑っていた。
「くるるる!」
二人の人間と、一頭のドラゴン。交錯する笑顔の隙を縫うようにして、ホーネットの顔がパピーの視線からビュウを隠す。そうして彼の頬に軽く唇を触れたところで、間近に迫った金色の目が月のように細まった。
「――存在を忘れたこと事なんて、一瞬だってないんだからな」
空いているビュウの左手が、ホーネットの右腕を沿うように下りてくる。
この一年でまた、ずいぶんと生傷が減ったものだ。
とっさに確認したその指の形を確かめるように握り返して、ホーネットは指先から伝わる鼓動を感じていた。
「くー! くー!」
「ああ、ごめんよパピー。ママはちゃんとここにいるからな」
「くくうー!」
体を離さないと。永遠とも思えた静寂を破ったのは、二人の子とも言えるパピーに他ならなかった。ただでさえ丸い体をさらに膨らませて、懸命にアピールするさまはやはり愛おしい。
歓喜の声を上げるパピーに思わず頬ずりなどしているビュウを微笑ましく見ていたところで、ホーネットは切り出そうとしていた話をやっと口にした。
「……それで、だな。今年のことなんだが」
「ああ、ドラゴンの衣装も俺たちが作る決まりなんだっけか。それで去年はえらい浮いてたもんな」
「でもいつもの姿が一番可愛い、って何でも無い日なら即答できるのにな」
去年のことを互いに思い出したのか、二人は苦笑を浮かべながら頷いていた。
ハロウィン恒例、戦竜行列。ドラゴンの存在が特に当たり前なカーナでは、人間の仮装行列に加えて戦竜たちも町中を練り歩くことになっていた。
いつから始まったのかは誰も知らないが、町の人間にとっては「対価を払ってドラゴンに悪霊を払ってもらう」立派な行為のひとつであり、
――つまりドラゴンたちは、いつもと同じように町を練り歩くだけでお菓子が貰える特別な日でもあるようだ。
「最初はドラゴンに衣装を着せるなんて、って思ってたさ。まさかそれがアピールのためだなんてな」
「目立てばいいかと思えばそうじゃない。戦竜隊員にとっても、ドラゴンとの仲を深めるいいイベントだと思うよ。 ……ドラゴンたちがしばらくグルメになること以外はな」
笑いをこらえきれなくなったのか、ビュウは笑いを交えながら行事を振り返った。そんな彼を不思議そうに見つめるパピーを撫でながら、ホーネットは小さく唸った。
「去年こそ物珍しさと生来の可愛さでお菓子は貰えたが、今年はそうも行かないだろうな。ビュウ、サラマンダーはどうしたんだ?」
「うん? ああ、今年は格好良さで攻めることにしたよ」
「……で?」
続きをなおも促すホーネットに、ビュウから返ってきたのはにやついた視線だけだ。何も当日まで隠さなければいけない理由もないのだが、ドラゴンに愛情をかける者同士、張り合わない理由もないのだ。
「――わかった、わかった。探るのはやめる。けど、こうも参加歴に差があるのは俺に不利すぎやしないか?」
降参、と両手を軽く挙げて、敢えてホーネットは弱ったように助けを求めた。けれど実際その通りで、戦竜隊に所属している年月と戦竜行列の参加歴がイコールならばホーネットには圧倒的不利でしかなかった。何より衣装のアイディアも無ければ製作のイロハも無いのだ。
「そう、だよな。何より行列が始まっても寂しそうなパピーの顔は見たくない……」
「くう?」
当の本人といえば、ただただ疑問を浮かべているだけのようだ。僅かに体を傾けて、黒々と輝く目をビュウに向けている。彼女の可愛さなら、どんな衣装を着せても人々を夢中にさせるだろう。そう決めつけてしまうほどの溺愛振りをホーネットから見せられている以上、ビュウの心に一つの決意をさせていた。
「……頼む、ビュウ」
「そこまで言われなくても。俺たちはパピーの親なんだからな」
「…………!」
嘆願するホーネットの目がはっと見開かれる。言葉を呑む彼の前で、ビュウはすり寄るパピーを優しく撫でながら余裕の表情で口を開いた。
「いい案があるんだ、聞いてくれるか?」
***
「やっとこの日が来たな」
「でも迂闊だったな、自分たちの衣装を用意し忘れるなんてさ」
ビュウの言葉に頷きながら、ホーネットはずれたシルクハットを手に取った。その様子に目を移して、ビュウは未だに癖の取れない立ち襟を伸ばそうと手を伸ばす。
「おっと……っと」
「慣れないことはするもんじゃないぜ、女王様」
「……身長差で決まるなんて理不尽だよな、やっぱり」
ハットを片手に、ホーネットは空いた手でふらついたビュウの手を取り身を寄せ体を支える。急接近する唇を抵抗することなく受け入れて、それでもビュウは納得いかないといった風に不満を零した。
まるでこの日にために用意されたような、ヒールの低いパンプスを履いた足許をよたよたさせながら。
「衣装が残ってただけ良かっただろ? それがヴァンパイアの夫婦と来たら着るしかないよな。それにほら、パピーだって嬉しそうだ。ママによく似合ってるよな?」
「くるるー!」
パピーがそう応えて翼をばたつかせると、事前に振り撒いた華やかな花の香水の匂いが二人を包んだ。つまりは我が子の前で戯れていた二人は、遠くで集合の合図が掛かるのを聞きながら改めてパピーに向き直った。
「パピーもよく似合ってるよ。なんせ俺たちのお手製だからな」
「針仕事なんて不安しかなかったが、形になって良かったよ」
互いの仕事を褒めながら、二人は今日の主役であるパピーの頬のあたりをわしわし撫でた。
「なんてったって俺のお陰だからな」
「先に言うな。……でも本当にいいアイディアだったと思うな、カボチャを合わせるなんてパピー以上に似合う奴なんていないだろうし」
自慢げなビュウに自然に突っ込みを入れながらも、ホーネットは抱きしめたい欲求をぐっと抑えてにやける彼に微笑みかけた。
「くくー!」
そんな様子にパピーも嬉しそうに声を上げる。緑色のマントに、ちょこんと頭に乗ったお揃いの色をしたカボチャ型の帽子。そのてっぺんから出ている黄緑色のヘタを見れば、誰もがカボチャを想像するに違いない。
「これなら誰よりもお菓子を多く貰えるだろうな。だろ?」
「くう!」
どちらともなくそう聞いたホーネットの表情はすでに緩みきっていた。彼の脳内はすでに、群衆に囲まれるパピーの姿を描いているのだろう。
一方で、何かに気付いたビュウはそちらに手を振りながら答える。
「さあ、それはどうかな?」
「きゃあうー!」
聞き慣れたサラマンダーの声とともに、バサバサと風が彼らに吹き付ける。振り返ったホーネットの目に飛び込んできた、王侯貴族風の衣装を纏ったサラマンダーがゆったりとした仕草で三人の前に降り立つ。
「これは……良い勝負になりそうだな」
「く?」
迎えを喜ぶビュウの後ろで、ホーネットは思わず小さく唸りながらパピーを見上げる。周囲の浮き足立つ空気にただ喜ぶパピーは、眉根を寄せる彼の表情にぱちくりと瞬きをしたのだった。
町中に出たドラゴンたちを迎えたのは、人々の歓声と甘いお菓子の香りだけではない。
太陽のような明るさの花々は町を包むように飾られ、この日のために用意した衣装を着込んだ人々の胸元にも刺さっている。
戦竜隊の面々のそれにもロウソクを灯すように差し込まれると、彼らは喜びとともに町へと繰り出した。
「……ホーネット! 調子はどうだ?」
「胃もたれだけは何とか起こしてないな。それにしても本当に凄い人波だった……」
衣装についた飾りを取りながら、ホーネットは駆けつけたビュウに向かって溜息をつき苦笑いを浮かべた。
未だに走る元気のあるビュウは、相当祭りを堪能したのだろう。子供のように目を輝かせて、未だ籠いっぱいのお菓子を差し出す。それはドラゴンのおこぼれなのだが、彼ら戦竜隊も国を守る花形として人気を集めるのは当たり前だった。
「なんだ、そんなに疲れて。パピーはまだ食べるだろ、ほら」
「くーくー!」
滑らかに口を動かしながら、ビュウは籠の中から適当にお菓子を掴む。小麦粉にアーモンド粉を混ぜ込んだものを丸く成形した、手のひらに載せても小さなケーキは、作り手の嗜好で様々な色に染め上げられている。
籠一杯の宝石のようなそれに、パピーはすっかり夢中になっていた。パタパタと翼をはためかせながら、差し出されたケーキをビュウの手のひらごとくわえ込んだ。
「くうーっ!」
「美味しいか、うんうん」
「ドラゴンの胃袋ってのは本当に限界があるのか……?」
はしゃぐ二人を横目に疑問を浮かべながらも、ホーネットの口元はついつい緩んでしまうのだった。
「――さあさあ、本日のメインイベント!」
その時広場に響いた声に、ビュウは手を止めそのヨダレにまみれた手を乱暴に衣装で拭き始めた。ふわりと膨らんだスカートが台無しになるさまをたまらず止めようとホーネットは手を伸ばす。だがこれ幸い、とビュウはその手を取ると、突然ケーキを取り上げられて不満げなパピーに向かって声をかけた。
「パピー、おいで!」
「くー? くくー!」
「おいおい、あっちはステージだぞ? なにを――」
ホーネットが喋り続けるのにも構わず、ビュウは足に纏わり付くスカートを蹴飛ばしながら人々の間を抜けていく。白いパニエが花のように広がるさまを一顧だにしないビュウを惜しむホーネットの耳に、司会の陽気な声が飛び込んだ。
「――果たして優勝は誰の手に?! 第85回! おばけカボチャ選手権ー!」
「……あ」
「ほらホーネット、せっかく結果が出るのに、育てた本人が見届けないでどうするつもりだったんだ?」
振り向いたビュウの笑顔がとても眩しい。それは決して、開けた場所に出たからではないのだろうという確信がホーネットにはあった。たまらず目を細めながら力強く頷き返いたその背中をパピーが飛び越えていく。
「そうだよな、三人で育てたカボチャだもんな。見届けてやるか」
瞬間弱まる腕の力に、ホーネットはパピーから視線をビュウに戻す。そこにあったはずの彼の笑顔は、ある単語に含まれた事実に気付かされたようにはにかんでいたのだった。
「……それを強調しないでくれ」
「カーナ各地から集まった、カボチャは全部で50以上! その中でも特に大きなカボチャ10個を、育てた方と一緒に見て頂きましょう!」
「――なあホーネット」
いつもは簡単な劇などの発表の場である石造りのステージ。その壇上で予定を読み上げる男の声は、ビュウにから浮かれた気分を吹き飛ばすのに十分だった。代わりに沸き上がる不安をすぐにでも消化させようと、振り向いたその顔には不安の色が濃く上書きされていた。
「今の、知ってたか?」
「ああ、呼び出されるとは書いてあった。大丈夫だ、声の届くところにいればいいさ。何、必要以上に不安がらなくていいだろ? とりあえずパピーの場所を……」
やたら気分の落ち込んでいるビュウを励ますことに夢中だったホーネットは、そこで初めて未だにパピーが空を飛び続けていることに気付いた。
ピッ、ピー!
鋭い指笛が辺りに響く。だが人々の注目は熱の入った司会に集まっていた。そうでなくても混乱せずに済んでいるのは、ここがカーナというお国柄なのだと実感させられた。これで何事もなく事態は解決するだろう、と期待にホーネットの表情が緩む。だがパピーの形がはっきり見えてきたころ、その腕を不意に掴む存在があった。妙に緊張感を帯びたビュウの手は、何事かとホーネットが問うよりも早く懐かしい声色を会場に響かせたのだった。
「パピー、来い!」
剣の切っ先のような鋭い声と、空へ向けられる揃えられた指先。それが指笛の形を作る頃には、彼女の姿は集まった群衆の誰しもが認識できるほどに近づいてきていた。
「それでは、キルシュさんでした。続いては……おおっと!」
「くるるー!」
早速二人目の紹介を和やかに終えたはずの司会者の目が上空にとまる。誘われるように視線を移した人々は、空中を飛ぶ巨大カボチャの存在に歓声を挙げたのだった。
「あっ、こら!」
さきほど見せた凜々しさはどこへやら、ビュウもすっかり普段通りの声でパピーを連れ戻そうとアピールを始めた。だがいっせいに注目を浴び歓声を浴びたことで気を良くしたパピーの翼は、一段と声の大きな司会者の元へ向かっている。
「ここでまさかの巨大カボチャが飛んできたぞ!」
そう実況しながら、司会はあくまでも冷静にその場をゆっくり後ずさる。そうして都合良く開けられたスペースに、パピーはするりと舞い降りたのだった。
「くうーっ!」
「ああ、あんな所に……なあビュウ」
「どうする、って? ――行くしかないだろ」
予定外の存在に、わあ、と一瞬で会場は沸き上がる。その歓声の波の中で、ホーネットはあまり感じたことのない焦りを覚えていた。だがそんな彼の声にも、ビュウはにこりと微笑むとしっかりとその手を握ったのだった。
「く、くー!」
「かわいい自己紹介をありがとう! 見てくださいみなさん、ステージに合わせたようなカボチャの帽子です。こんな可愛い衣装を用意してくれた方は誰なのでしょうか?」
人を恐れずすり寄る姿とその格好に、司会者は顔色一つ変えずにパピーを撫でつつ会場に向かって語り掛ける。思わぬ乱入も余興だと思っているのか、ステージ前の人々はパピーに笑顔で手を振っている。
その隙間を縫うように、二人の声がステージに届いた。
「ここだ、ここ!」
先だってホーネットが、後ろからつんのめるようにしてビュウが群衆から飛び出す。立ち止まることなくステージに向かって走る二人の存在を、事の元凶であるはずのパピーは喜びに満ちた目と声で迎えたのだった。
「くるるー!」
「おっと、早速名乗り出ていただけたようです。ステージを盛り上げてくれた可愛いドラゴンに拍手をお願いします!」
さすがというべきか、一瞬のことにも司会は場に合わせた進行を進める。その調子に合わせた二人が群衆に向かって手を振ると、彼らとの妙な一体感が会場を満たした。
「ビュウ」
不意にホーネットが振り向いたその意図に、ビュウは頭を縦に振ることで答えた。それが当人としては意外だったのか、一瞬目を丸くしてから白い歯を覗かせる。
それと同時に、舞台のヒロインは再びふわりと飛び立った。まるで初めからこうなることを予見しているかのような行動に、二人の足はさらに力強く地面を蹴り上げた。
「パピー!」
「くー!」
まあるい影を二人の頭上に落としながら、パピーはホーネットの声に高らかに応えた。そのままゆっくり降下したかと思うと、体が地面に付くより早く二人は彼女に飛び乗った。
「おおー!」
「なんと器用な騎乗でしょうか。それでは改めて、お二人と会場を盛り上げてくれたパンプキンドラゴンに盛大な拍手を! 参加された皆さんも、このドラゴンに負けないようなカボチャ育成を目指してくださいね!」
「わははは……!」
司会者は台本でも読むかのようにすらすらと言葉を並べる。すっかり場に乗せられた観客たちは、冗談に笑いをこぼしながら愉快な闖入者に手を振り見送った。
「――――」
「くくー!」
もちろん、その言葉はパピーの背に乗る二人にも届いている。そこで安心感から事実に気づいたホーネットの視線が後ろへ流れた。だがその意図もむなしく彼女はひときわ大きな鳴き声を上げ、彼は苦笑すると舞台を後にすべく軽くその腹を蹴ったのだった。
***
「……結局呼ばれなかった、んだよな」
いつもはドラゴンたちの声で賑やかな訓練場に、ぽつりと零れたビュウの声。
気落ちした金色の視線から逃れようと、ホーネットの目線が手元へと落ちる。
「だろうな。その上話題はパピーに全部掻っさらわれたときたもんだ」
自嘲気味に笑って、ホーネットはパピーの顔を撫でる。片手に抱えた頭飾りに視線を落としながら、彼は事実を確かめるように溜息を吐いた。
「来年参加する理由もモチベーションもできたからいいんだけどな。これでまた来年もパピーが注目を浴びたら、さすがにモヤモヤするだろ?」
「くー?」
「そりゃこれだけ目立ったら避けられないだろうな。それより何か、パピーの可愛さに親が嫉妬してるのか?」
名前を呼ばれたパピーが、二人の間に挟まるように体を擦り付けてくる。その甘えぶりに口元が緩むのを互いに咎めるはずもなく、争うようにパピーに頬をすり寄せた。
「そう、なのかもな。こんなに可愛いんだぞ、カボチャごときに負けてどうする」
「自分で努力を否定するなって。まあ、俺も力を入れてたのはこの衣装作りの方だけどな」
「くうー!」
場所が分からなくても、パピーの喉は喜びにぐるぐると震える。最上の甘え方に、二人の顔は人の目もないことも重なって自然と息のかかる距離にいた。
これでは、自然と二人の口から笑みが漏れるのも無理はない。
「――それじゃ、来年も一緒にカボチャを育ててくれるよな」
「なんだ、そっちか。 ……冗談、もちろんだ。俺にも責任ができたみたいだしな」
瞬間眉根を寄せたホーネットに笑みを返すと、ビュウはここぞとばかりに残り少ないケーキを手に取った。それをパピーが見えるように腕を伸ばし掲げると、食べる姿を確認することなく顔が背中側へと消えた。
「ぐう!」
「どうした、自分からケーキを出すなん……」
「よし!」
ホーネットの返答を待たず、ビュウの手からケーキが消える。パピーにとっては一口大にも満たないそれを、彼女はじっくり味わうように頬を上下させていた。
「ホーネットに普段はパピーを任せている以上、もちろん一番に反省すべきはホーネット。だけど手伝った以上俺にも責任はある。だよな?」
「そうだな……」
ビュウの瞳に真っ直ぐ射貫かれて、ホーネットのおどけたい気持ちはすっかり消え失せていた。そう言って唸るのが精一杯だった。可愛い愛娘のやらかしなのだ、そこまで真面目に反省を促さなくても、とは思えど、ドラゴンに命を預けてきた者として真剣な物言いになるのも当然なのだろう。
そして、そんな彼がとても愛おしい。
「どうする……ッ!」
あくまでも穏やかに、おのれの処遇を求めるビュウ。その唇を軽やかに奪って数秒、ホーネットはにこりと笑いかけた。
「今回の処遇はこれで許してやる」
「――ホーネットらしいな」
「くくう!」
喜びと困惑の入り交じった表情を見せるビュウの隣で、穏やかな気配を嗅ぎ取ったパピーがここぞとばかりに催促の声を上げる。
そんなまだまだ色気より食い気な彼女をそれぞれ撫でながら、二人は顔を見合わせくすぐったそうに微笑んだのだった。
Pumpkin,pumpkin!
と言うわけで、今年のハロウィンはホネビュウ+パピーのわちゃわちゃでした~!
ハロウィン仮装行進にパピーを混ぜても分からなさそう。さすがに大きさでバレるか。
私はよほどビュウに結婚指輪を付けて欲しいらしい(いい夫婦の日参照)。実際夫婦だと言い張れる証拠がない以上、お揃いで付けていいと思うんですよね誰か書いてくれ~~!!
ちなみにpumpkinには「かわいこちゃん」というスラングもあるようです。
2022/10/31 付